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胆沢城跡に、アテルイとモレの慰霊碑ができたそうです。
蝦夷中央政府に対する象徴的人物ですね。
アテルイは奇策に奇襲によって、政府軍3000を打ち破ったと記録があります。
3000人といえば、一軍団が1000人だったわけですから
3個軍団を撃破したことになります。
しかも、政府軍は渡河の最中だったということですから
アテルイはよほど戦略に通じた人だったのでしょう。
そこで、朝廷は坂上田村麻呂征夷大将軍に任じて征討に当たらせます。
田村麻呂は、かなりの実力者だったのでしょう。
多賀城市に五万崎という地名がありますが、田村麻呂がその地で兵を糾合した
ところ、5万人集まったことからきているのです。
5万人は行き過ぎでしょうけれど、かなりの大軍で攻めていったのです。
最後は坂上田村麻呂に助命を条件に投降するのです。
一説には、坂上田村麻呂は武人としてアテルイと尊敬しあっていたともいいます。
しかし、助命の条件は中央政府が「田村麻呂の独断である」ことを理由に反故。
アテルイとモレは田村麻呂の助命嘆願にも関わらず斬刑に処せられます。
それ以来、蝦夷の抵抗運動は実に30年ぶりに鎮化するのですが
東北ではアテルイの不屈精神が受け継がれていきました。
今回は、その顕彰という意味もあるのだと思います。