天子様のお住まいの呼び方も様々! その意味とは…?
9月6日、赤坂御所から宮城(皇居)に遷御遊ばした。
そもそも天皇陛下をお呼び申し上げる時は
ご本人を名指しするというのは大変憚られることであり
従って、「帝(ミカド)」は「御門」とも書き御所の門のことを言った。
即ち、天皇陛下がお住まいになる場所というのは我々にとっても大変なことである。
門から山まで多くの呼称が!
太古から宮城を内裏(だいり)、九重、大内山、禁中、百敷、紫の庭など多くの言葉で
表現した。内裏は歴史の教科書にも載っている有名な言葉だが、出典は分かっていない。
『旧唐書』李輔国伝にも記載があるが、これが初出なのかは不明である。
内裏に大を付けて、大内裏とし、裏を取った大内山というのが山城国にあり
宇多天皇の御代にお住まいになられていた山を言ったのである。
九重とは、『楚辞』に「君門が九つあり」と記載があるものによったので
藤原兼輔が「白雲の 九重に立つ 嶺なれば 大内山と いふにぞありける」
と詠んでおり、二重の意味が掛かっているといえる。
禁中とは、その名の通り特別な任になければ御所に立ち入ること罷りならぬので
付けたもので、禁裏も同様の意味である。
百敷(ももしき)とは、文武百官の座が敷かれたためとも、百寮(全官)敷奏の意味
とも、数多の石を敷き詰めて造った大宮という意味とも伝わっている。
紫の庭とは、『宋書』に記載のあるもので、周の成王が「鳳凰、紫庭に翳る
余、何の徳ありて以って感霊せる」と詠んだのを訓読みしたのだという。
支那の宮城を「紫禁城」と呼称しているが、順徳天皇の御集『紫禁和歌集』と
同様の意味である。
起源は古代支那に求めるものが多いが、それらをわが国では和歌などで
表現することも多かった。実に奥深い世界である。