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沖縄戦・八原参謀の著書が復刊!(したことを今さら知る)

大東亜戦争の局地戦を調べる上で、とりあえず見るものといえば

今でこそWikipediaだが、wikiも所詮は集合知であって

必ず参照する資料があるものだ。その基礎資料が「戦闘詳報」である。

各部隊や各艦船ごとに、戦闘後に上級司令部に提出するもので

どのような戦闘であったのかを時系列で記して

勝敗の要因は何か、改善すべき点は何か、そしてどの部隊がどういう戦功を挙げたか

参考にするものである。帝国陸海軍は、現在の日本と同様、記録魔であったから

戦闘後は戦闘詳報の作成に勤しんだ。

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歩兵第36連隊の大東島空襲(1945年3月)の戦闘詳報

例えば、レイテ沖海戦で沈んだ戦艦「武蔵」も、生存者がフィリピンにおいて

戦闘詳報の作成を第一に頭を付き合わせたのである。

とはいえ、戦死者が余りに多いため、正確に記録する人が残っていない部隊もあった。

そのため、武蔵の戦闘詳報には、あくまで記憶を基にしたものなので間違いがあるかも

しれないという一文が添えられている。

そういった資料は全て、自衛隊がまとめており、「戦史業書」という形で発行されている。

ところで、部隊が全滅即ち玉砕することは、司令部が消滅することを意味する。

高級将校が生き残っていないのは、部隊の生存者を指揮する人がいないことで大変困る。

誰も司令部の作戦立案や実施状況、戦闘時の様子を知らないからである。

だから高級将校が生き残った戦闘というのは極めて貴重だ

実はその戦闘が沖縄戦であり、生存した高級将校は八原博道大佐である。

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八原博通大佐

極めて優れた作戦参謀であった八原大佐は、第32軍司令官の牛島満中将のもと

徹底的な持久戦術を展開し、米軍を最後まで苦しめた。

牛島中将に本土へ戦闘の様子を伝えるよう指令を受け脱出を図るものの

米軍に捕捉されて捕虜となった。

1972年に著した「沖縄決戦ー高級参謀の手記ー」は極めて詳細かつ正確なもので

貴重な資料であったが、長らく絶版になっていた。

 

どうにかして読む機会を得たいと考えていたのだが、最近になって復刊したことを

知った。それでさっそく取り寄せたところ、なかなか分厚くてびっくりした。

沖縄戦は民間人や報道関係者による著書があるが、将校の立場から見るのは

極めてレアだ。硫黄島の戦いでも、光人社から出ている将校の回想があったが

その将校は硫黄島に米軍が上陸する直前に病気のため本土に移送されたことで

九死に一生を得たのである。

激戦で最後まで参加して生存するのは、誠に艱難辛苦の一言に尽きるもので

特に参謀クラスであれば、大体は司令部の玉砕と運命を共にしがちだ。

生存したことを「生き恥」と批判する声もあろう。

だが、全員死んでしまったら、誰が司令部の最後を伝えるのだろう。

牛島中将が「生き残って大本営に戦訓を伝えよ」と指令を出したがゆえに

生存できたとも言える。さすが「陸の牛島」と評されるほどの名将である。

まだ読み始めたばかりなので、1行1行噛みしめるように読みたいと思う。

もうじき終戦の日。一人一人の「戦争」を少しでも理解していきたい。