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徳川家康と伊達政宗の遺訓が似ている…?

先日の大河ドラマ「青天を衝け」で、徳川慶喜渋沢栄一

東照大権現遺訓」をそらんじて盛り上がるシーンがあった。

東照大権現とは、言うまでもなく江戸幕府初代将軍・徳川家康である。

日光東照宮に葬られ、「大権現(仏が神の姿を借りて現れたという意味)」

と号したから、東照大権現と称されている。

徳川家康の遺訓は全部で以下の通りである。

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東照大権現徳川家康)肖像

 

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し

急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したる時を

思い出すべし。

堪忍は武運長久の基。怒りは敵と思え

勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る。

己を責めて人は責めるな。

及ばざるは過ぎたるより勝れり。

 

という。これには異説があり、水戸光圀が教訓として

残したものがいつの間にか「東照大権現神君遺訓」となり

伝わったのだという説がある。

 

僕自身、この遺訓を聞いていてどこかで聞いたことがあるなと思ったら

何を隠そう仙台藩祖・伊達政宗公の「貞山公御遺訓」に似ていた。

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伊達政宗公騎馬像(日本遺産HPより)

「貞山公御遺訓」全文は以下。

 

仁に過ぐれば弱くなる

義に過ぐれば固くなる

礼に過ぐれば諂(へつら)いとなる

智に過ぐれば嘘をつく

信に過ぐれば損をする

気長く心穏やかにして、よろずに倹約をもって金銭を用うべし

倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり

この世の客に来たと思えば何の苦もなし

朝夕の食事うまからずとも褒めて食うべし

元来客の身なれば好悪は申されまじ

今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、娑婆の御暇申すがよし

 

 

という。実はこの御遺訓も、政宗公が残したものだという証拠がない。

ただ、政宗公は筆まめで知られていて、右筆に任せることはあまりなかった。

だからこういう教えが残っていてもおかしくはないのである。

なお、「貞山公御遺訓」は政宗公の墓所である瑞鳳殿で売っている…。

 

似ているところが多い両者の遺訓

 

ところで、徳川家康の遺訓とを見比べると、似ている部分が多い。

例えば、不自由であることを我慢しろと言ったり

怒ったりせずに穏やかに生きろ、というものだったりという箇所だ。

老荘孔子の教えの影響を受けているという指摘もあるが

誰が作ったにせよ、よほど長い人生を歩んできた人でなければ

これほどの言葉は出てこまい。

そして両者の生きざまをよく知っている人だからこそ、違和感なく

本人のものでござい、というて出せたのだろう。

実際、両者が後世に残すとしたらこういう言葉だったかもしれない。

「貞山公御遺訓」は僕の人生の指標でもあり、部屋に飾って毎日眺めている。

現在でも十分通用する内容といって差し支えあるまい。

少しでも「奥州の独眼竜」に近づきたいものだ。