「敬称考」郷土の偉人に「公」を付けるべきか。
郷土の偉人を長く顕彰することは極めて重要である。
読者の皆さんの地元にも郷土の偉人は必ずいるし
その生涯を学校などで学習する機会があったと思う。
我が菊地家は、4代前から分家して、それ以来ずっと仙台に
いるから、地元の偉人といえば、当然仙台藩祖・伊達政宗公である。
「仁に過ぎれば弱くなる…」から始まる貞山公*1遺訓は部屋に貼って
いつも眺めてはその教えを胸に刻んでいる。
「伊達政宗」か「伊達政宗公」か「伊達政宗卿」か…
以前、今のご当主・泰宗さんにお会いした時に仰っていたのだが
「政宗公の名前を出す時は『公』と付けていただきたいのです。
報道の方には通じませんが…」とのことであった。
さすがマスコミはマスコミだなあと内心苦笑した。
敬称の付け方については、実は仙台市でもバラバラである。
例えば、仙台市博物館の公式サイトでは
「伊達政宗」と敬称略であるが
仙台観光情報サイトでは
「伊達政宗公騎馬像」と紹介されていて、敬称付きである。
「卿」とは、「公卿」のことを指し、即ち従三位以上の官位の人を言う。
公卿というわけである。もちろん、武家官位であるから実際に朝廷に出仕
することはなかったのであるが。
いかに政宗公が幕府から信頼されていたかがわかろうというものである。
「伊達政宗卿」としたのは、その事実を踏まえた上で敬意を表したのであろう。
足並み揃わぬ行政部局の見解
敬称に戻ると、なぜ仙台市でも敬称についてバラバラなのかといえば
教育委員会は、公平中立であり、特定の思想や評価に偏らないためと
されている。研究を進めていくと、政宗公を批判的に評価しなければ
いけない場合もあるだろうからである。
一方で、文化観光局は人を呼んでこそだし
そのためにはご当主の意向も重要だから
「公」を付けることにさほど抵抗があるわけではないのである。
しかし、伊達政宗公の評価が大きく変わることがあるだろうか。
例えば、大内定綱の小手森城撫で切りが事実だとしても
葛西大崎一揆の扇動が事実だとしても、さほど影響はないと思われるが。
仙台藩を開き、過去最大の領土を誇っただけでなく
狩野派を始め安土桃山文化の振興、仙台味噌や仙台平などの産業奨励など
現在の仙台市・宮城県の基礎を作ったことは揺るぎようのない事実であり
その功績は「公」以外の敬称は見当たらない。
郷土の偉人という認識が共通していれば、関係部局によって
呼称がバラバラになるのは望ましいことではあるまい。
ぜひ統一していただきたい。