なぜ一年が終わるのが早いのか
光陰矢の如し、とはよく言ったものである。
「今年はあと一週間しかないんです」と話を会社でしていて
皆驚くほど、時の流れは早いものである。
仕事は相変わらず山積みだし、党務だってやるべきことがたくさんある。
友人と約束している釣りにも行きたいし、旅行にも行きたい。
その全てを今年は新型コロナがぶっ飛ばしたんだが。
それにしても本当にあれもしたい、これもしたいと思っているうちに
一年が終わってしまった。いやはや、困惑しきりである。
年を取ると時間が短く感じる
さて、僕も30半ばになって、いろいろと悟ってくるようになったが
それでも毎年の時間の流れの早さはどうにかならないものだろうか。
実はこの感覚は「ジャネーの法則」という。
19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネが提唱した心理学的法則だ。
人が感じる年月の長さは、年少であれば長く感じて、年長であれば
短く感じる、というもの。
なぜそうなるのかというと、人間というのは、新しいことに取り組めば
その分記憶として残りやすい。だからさまざまなことが印象に残って
長く感じる。若い時分はとにかく新しいことの連続だ。だからこそ
毎日が意識に残りやすく、一年が長く感じるのである。
一方で年を経ると、同じことの繰り返しでさほど記憶に残ることもない。
従って、意識の領域はさほど使われず、短く感じるのである。
ジャネーの法則では
1歳の子どもは、毎日新しい経験をしている。だから1年の感じ方は1/1とする。
5歳になれば、1/5になる。
50歳ともなれば1/50というふうに、50歳であれば1歳の子より
50倍も早く感じるという法則である。
時間の流れといえば老荘思想
僕も、最近「時の流れは無常だ…」と感じることがある。
老荘思想に通じるものがあって、若い時は「つまんねー思想だ」と
吐き捨てていたのだが、最近はその概念がわかるようになってきた。
「老子」の有名な言葉に「上善は流れる水の如し。よく万物を利して争わず」
という。名軍師・黒田如水の名前の由来にもなっているが
流れる水のように低いほうへと流れていき、自ら抗うことなく
万物を育てる。そのように心穏やかに生きろというものである。
さすがにまだ水のように生きろというのは無理があるが
その生き方は理解できる。それもアリかなと。
もしかしたら天下国家を動かす人ほど、老荘思想的な生き方をしているのかもしれない。