宮城県南の要衝を守る村田城跡とは
先日、県南から帰る時に、村田町にある村田城跡に行ってきた。
何度もこの近くを通ってはいるが、実は直接行くのは
初めてだったりする。
この村田町は、仙台と県南を結ぶ交通の要衝にて
商業の盛んな地域である。現在でも古くからの
まちなみが残っており、「蔵の町」として知られている。
もともとこの村田町周辺は、村田氏の所領であった。
藤原秀郷の7世孫、藤原頼行の三男である小山宗行を祖としている。
従って、戦国大名の結城氏一族であるが、小山政朝が戦死すると
長男の業朝は奥州に下向し、その子孫である近重の時に伊達氏に服属した。
その後を継いだ村田宗殖は伊達稙宗の九男であり、一時は3万石を領する勢力を誇ったが
村田はその後、藩直轄領や奥山氏らの支配を受け
同じく重臣である芝多氏が2000石で入部し、幕末まで続いた。
遺構は状態が良い
この村田城跡は、現在城山公園といって整備されており
「道の駅村田」に隣接している。
典型的な平山城で、堀切や堅掘、土塁などの保存状態は極めて良好である。
それぞれの郭は広く、特に本丸跡はイベントステージがあるくらいだ。
ここの発掘調査報告書を見ていないのだが
説明文によると、ここからは掘立式建物跡が検出されたとのこと。
例えば遺物として調度品や生活用品が発掘されれば
普段からここを生活の場として使用していた証左となる。
逆に何も出土しない時、普段は麓などで政務を行い
いざというときに使用した可能性が高まる。
さて、城跡に必ずと言っていいほどあるのが神社である。
今回もお参りをさせていただいた。
ボロボロであるが、乾八幡神社。
城跡はそもそもが武家によるものであるから
戦いの神である八幡神社が建立される。
建物自体はものすごく古い。誰が管理しているんだろうか。
その後、この地域を領した藩士を知りたいと思い
村田町図書館に行ったが、いかんせん何冊もあったため
必要な部分だけ複写させてほしいと申し込んだところ
「うちでは複写をやっていません」という。
その場でノートにでも書けっていうんだろうか。
仙台市の図書館では、申込書さえ記入すれば可能なのだが…。
どうもこれは、生涯学習の理念に反しているように思った。
地方における教育行政の課題といえるだろう。