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宮城県南の要衝を守る村田城跡とは

先日、県南から帰る時に、村田町にある村田城跡に行ってきた。

何度もこの近くを通ってはいるが、実は直接行くのは

初めてだったりする。

この村田町は、仙台と県南を結ぶ交通の要衝にて

商業の盛んな地域である。現在でも古くからの

まちなみが残っており、「蔵の町」として知られている。

もともとこの村田町周辺は、村田氏の所領であった。

藤原秀郷の7世孫、藤原頼行の三男である小山宗行を祖としている。

従って、戦国大名の結城氏一族であるが、小山政朝が戦死すると

長男の業朝は奥州に下向し、その子孫である近重の時に伊達氏に服属した。

その後を継いだ村田宗殖は伊達稙宗の九男であり、一時は3万石を領する勢力を誇ったが

天正19年(1591)桃生郡38貫文に大幅減禄となった。

村田はその後、藩直轄領や奥山氏らの支配を受け

同じく重臣である芝多氏が2000石で入部し、幕末まで続いた。

 

遺構は状態が良い

 

この村田城跡は、現在城山公園といって整備されており

「道の駅村田」に隣接している。

典型的な平山城で、堀切や堅掘、土塁などの保存状態は極めて良好である。

それぞれの郭は広く、特に本丸跡はイベントステージがあるくらいだ。

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本丸は東西約130m、南北80mの広さ

ここの発掘調査報告書を見ていないのだが

説明文によると、ここからは掘立式建物跡が検出されたとのこと。

例えば遺物として調度品や生活用品が発掘されれば

普段からここを生活の場として使用していた証左となる。

逆に何も出土しない時、普段は麓などで政務を行い

いざというときに使用した可能性が高まる。

さて、城跡に必ずと言っていいほどあるのが神社である。

今回もお参りをさせていただいた。

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八幡神社。城跡には必ずといっていいほど八幡神社が建立されている

ボロボロであるが、乾八幡神社

城跡はそもそもが武家によるものであるから

戦いの神である八幡神社が建立される。

建物自体はものすごく古い。誰が管理しているんだろうか。

 

その後、この地域を領した藩士を知りたいと思い

村田町図書館に行ったが、いかんせん何冊もあったため

必要な部分だけ複写させてほしいと申し込んだところ

「うちでは複写をやっていません」という。

その場でノートにでも書けっていうんだろうか。

仙台市の図書館では、申込書さえ記入すれば可能なのだが…。

どうもこれは、生涯学習の理念に反しているように思った。

地方における教育行政の課題といえるだろう。