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異国での日本魂描く「月光露針路日本 風雲児たち」

普段から公言しているとおり、僕は映画が好きで

よく行くのだが、予告編を見て釘付けになった作品がある。

シネマ歌舞伎「月光露針路日本 風雲児たち」である。

そう、歌舞伎である。よく行く映画館が松竹系ということもあり

かなり歌舞伎に力を入れているから、予告編がしょっちゅう流れるのだ。


【10/2公開】シネマ歌舞伎『三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち』予告編

本作、三谷幸喜が監修を務めているので、今の世代にも受けやすいし

僕自身、最近日本舞踊を勉強しなければいけないことがあって

本作であれば、入り込みやすいであろうかと考えている。

 

外国を見聞した日本人、国家戦略に貢献

 

本作は歴史的にもおもしろい出来事をモチーフとしている。

18世紀後半、漁師の大黒屋光太夫一行が遭難してアリューシャン列島に漂着。

ロシア帝国に帰国を求めるため、時の皇帝・エカテリーナ1世に直談判に及ぶ。

わが国は鎖国の真っ最中ではあったが、外国船が次々と来訪していた時期であり

世界情勢を知ろうと、オランダを通じて情報収集に注力していた時期である。

エカテリーナの支援を得た光太夫らは、ラクスマンに同行してもらい

漂着から10年で念願の帰国を果たす。そこで光太夫は貴重な情報を幕府に

もたらすのである。

当時のロシアは、世界でもトップを誇る財力を持っていたものの

大西洋に面した海洋国家である大英帝国やオランダ、スペインなどに対して

海軍力で遅れをとっていた。ロシア帝国の伝統的な南下政策というのは

まさにそのためで、地中海への進出を狙うためにオスマン帝国と何度も衝突する。

太夫はこのような世界情勢を見聞して帰国したのであるが

ロシアの南下政策を警戒した幕府は、蝦夷地警備を各藩に命じた。

 

仙台藩からも外交使節が誕生

 

歴史の面白さというのはこの後で

わが仙台藩蝦夷地警備に駆り出され、白老陣屋(白老町)などを

現代に残している。そこを拠点に、根室方面の警備を担当したのだが

この蝦夷地警備はもちろん、調査研究も兼ねていて


@shiraoi プロジェクト 仙台藩白老元陣屋資料館編 第1弾

この時、研究のため赴いたのが玉蟲左太夫という青年である。

彼はその成果を「入北記」という書物にまとめ、それが幕府の目にも止まり

後に日米修好通商条約の批准書交換のため遣米使節の一員として渡米した。

この時の成果としてまとめたのが「航米日録」で大変面白い。

例えば米国のホテルで、蛇口から水が出てくることに驚いたり

日本使節武家の正装であったにも関わらず、米国大統領は簡素な服で無礼だと

怒ったりと、文化や慣習の違いに喜怒哀楽している姿が率直に描かれている。

その一方で、英語の発音の仕方や、米国の食べ物の説明など

(例えば、スープのことをスッフと図解付きで書いていたりする)

当時の日本人がいかに外国のことを観察していたかがわかって面白い。

しかし、この才能は残念ながら活用されることはなかった。

帰国してほどなくしてから戊辰戦争が勃発し、東北にも戦火が広がるや

東北・越後諸藩が「奥羽越列藩同盟」を結成、左太夫はその事務局長という

ようなポジションに付く。

そのために新政府から同盟を主導した人物と見なされ捕縛。処刑されてしまう。

奉行職(家老)を務めた但木土佐や、軍事総裁を務めた坂英力も処刑されるが

彼らは仙台藩にあって門閥に属していたが、左太夫は平士であって

政治的にも、軍事的にも影響力は小さかった。新政府の過大評価が招いた

誤算である。処刑などせずに、榎本武揚のように政府内で活用していれば

一門の人物になったであろうに、惜しまれる。

とはいえ、歴史の面白さというのは、非常に間接的とはいえ

大黒屋光太夫から連綿と続き、左太夫に行き着いた流れである。

歴史の連続性というものは実に興味深い。

さてさてどのように描かれていることやら、楽しみである。