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松江護國神社へ参拝を実現

島根の視察について、必ず言っておきたいことがある。

以前、僕は初めて行く場所には護國神社へ参拝すると

書いたことがある。

今回も松江城隣にある松江護國神社にお参りに伺った。

松江護國神社は、戊辰戦争から第二次世界大戦まで2万3000柱の

英霊がお祀りされている。

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「大勝利御守」は当社にしかないのだとか

大東亜戦争において、松江市からは歩兵第63連隊が出征した。

同連隊は歩兵第17師団隷下であったが、支那事変では山東省で戦い

1944年にはフィリピン・ルソン島で防衛を行う予定だったが

輸送船が撃沈され、命からがらフィリピンにたどりついた将兵

米軍と抗日ゲリラの攻撃に悩まされ、実に3000人余が戦死されたという。

戦死者の慰霊碑はまた別の場所にある。

松江市中心部から南に行ったところにある緑山公園である。

国立国会図書館の調査で、1965年に公園整備に伴い建立されたことがわかっている。

https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000148571

 

部隊名は地名か部隊長名で

 

今でこそ部隊は第〇〇連隊、と呼ぶが

戦前・戦中は郷土ごとに部隊を編成していたから

例えば「松江連隊」と入れればすぐ出てくる。

だが、当時はそれすらも機密扱いで、新聞や書籍で部隊を紹介する場合

例えば、菊地部隊と部隊長名をつけるか、〇〇部隊と伏せることが義務付けられた。

だから戦時中の方に話を聞くと、数字の部隊も出てくるが

どちらかといえば地名で言う場合が多い。

戦地では、故郷の名前に思いをはせては、故郷の光景や家族のことを

考えていたのではないだろうか。

それにしても、ここまでいろいろな護國神社を参拝させていただいたが

誠に多くの方が亡くなられたのだと実感する。

もちろん、戊辰戦争のころからなので、必然的に何万という数字にはなるが

大東亜戦争の時を調べても数千の戦死者は出ている。大都市の場合は数万に上る。

国家のために犠牲となられた方々の思いは絶対に忘れるまい。

必ず、全国の護國神社へ参拝し、鎮座されている英霊の方々への思いを

受け止めたいと思う。

ちなみに、いただいた御朱印には

「散る桜 残る桜も 散る桜」とあった。

僕もこのような覚悟でありたいものである。

松江護國神社で頒布されていた書籍は下記より購入可能。

books.jinja.co.jp