ユニークな出雲大社、神々の住まう地域
実はこの数日、島根県に行ってきた。
まあ仕事関係といえばそうなんだけども
フジドリームエアラインズ(FDA)が仙台ー出雲便の就航を
開始したので、非常に行き来しやすくなった。
最も楽しみにしていたスポットの一つが、出雲大社である。
神社の関係者では「神宮」といえば伊勢神宮を指し
「大社」といえば出雲大社を指すのである。
出雲大社は、神話ではもちろん、わが国の歴史においても
極めて重要な場所である。
『古事記』によると、もともと出雲地方は大国主神の治める土地であって
天照大神はなかなか平定しきれないでいた。
そこで、武御雷神(タケミカヅチ)を遣わしたところ、武御雷神は
十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いてその剣の切っ先に胡坐をかいて
国譲りを迫った。
大国主神は、息子たちに判断を求めたが、そのうちの一柱・建御名方神が
大岩を手に現れ、武御雷神に「力比べ」を提案した。
武御雷神は、自身の右手を氷柱に変え、しかも剣としたので
武御雷神は彼を追い詰めるが、命乞いを受け入れて社を建てた。
それが「諏訪大社」である。
大国主神も国譲りを了承し、その条件として
「私の住まいを天津国の御子が政治を行われる宮殿のごとく宮柱を高く建て
高天原に届くほど千木を高くそびえて立派に造ってくださるならば
私は片隅の国に身を隠しましょう」と述べて中国平定は成ったのである。
八岐大蛇退治で結ばれる二柱の神
その後、素戔嗚尊は出雲国に降り立ったのだが、老夫婦が泣いているのを見かける。
どうしたのかを聞くと、彼らの娘の櫛稲田姫が八岐大蛇の生贄にされるのだという。
そこで素戔嗚尊が「それならば、八岐大蛇を退治するので、娘をくれないか」といい
老夫婦は喜んで承諾した。
八岐大蛇は巨大な大蛇で、八つの頭と尾を持ち、その大きさは背中に松や柏が
生えているほどである。そこで素戔嗚尊は一計を案じ
何度も醸した酒樽8つと、桟敷8席を設けた。
果たして八岐大蛇は姿を現し、酒樽を見つけるやそれぞれ頭を入れて飲み始めた。
酔っぱらって眠ったところに、素戔嗚尊が斬りつけた。だがさすがに刃が欠けてしまい
尾を斬ったところ、そこから剣が姿を現した。それが「天叢雲剣(草薙剣)」である。
八岐大蛇を倒した素戔嗚尊は、約定通り櫛稲田姫と結婚することになり
その場所が出雲だったということである。
こういう経緯があったことから、出雲大社は縁結びの神様として知られるようになり
出雲空港も「出雲縁結び空港」という通称で呼ばれている。
社殿の造りは非常に珍しく、高床式で、入母屋造りの社殿となっている。
参拝の作法も、二礼、二拍手、一礼ではなく、二礼、四拍手、一礼と独特だ。
また、柱穴の大きさや残された木柱の大きさを考えると
その本殿は、24~48メートルにまで届く高さだったと伝わっており大変巨大である。
現在の本殿は江戸時代中期に建てられたものである。
大社を代々守り続けているのは、出雲国造家の千家であり、国造制自体は
律令制の開始とともに衰退したのだが、出雲に限っては
国造家の特別な地位が約束された。
現在の国造家の千家国麿氏は、2014年高円宮典子女王と結婚されている。
わが国で最多の銅剣が出土した荒神谷遺跡(斐川町)や、同じく最多となる39個の
銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡(雲南市)の存在も非常に特殊で
出雲地方がいかに独自性のある、力を持った豪族が治めていたかが
わかる資料であり、国宝に指定されている。
ちなみに前述の「国譲り」「八岐大蛇退治」などは神社検定の公式テキストでも
わかりやすく書かれており、軽く勉強したい方にオススメである。