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石原莞爾中将墓所の記帳所建て替えでCF実施中

本日付の山形新聞でも知ったのだが

陸軍一の天才と称された石原莞爾中将の墓所

山形県飽海郡遊佐町にある。その墓所のそばには

来訪者のために、記帳所が設けられているのだが

この建て替えのための資金をクラウドファンディングで募っている。

現在の記帳所はプレハブ式の小屋であることから、あまり丈夫ではなく

特に基礎の部分が錆びて、安全上の懸念が生じているのである。

墓所と記帳所を管理している、石原莞爾顕彰会は

石原没後71周年を迎え、現在の簡易的な記帳所から通常建築の

記帳所を建築し、記帳だけではなく写真や掲示物、関係資料を

閲覧することができるようにする計画だ。

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陸軍きっての天才、満州進出を推し進めた

 

石原莞爾といえば、少しでも戦史をかじったことのある方なら

よく知られている人物である。

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天才として名声高かった石原莞爾wikipediaより)

わが国の満州への進出を積極的に推し進め、それをもって国力を充実させることを

提唱する一方、米英との開戦には断固反対し、東条英機首相と対立

予備役に回された不運の軍人である。

その後は郷土の庄内に戻り、農場を経営しながら

政治団体「東亜連盟」を結成、大アジア主義を唱えた。

戦後の極東国際軍事裁判では、酒田市に法廷が設けられ

石原も病身を押して証言したが、検察側を煙に巻く見事な

弁論でもって、判事も舌を巻いたほど。

石原は1949年に病没したがその後、メディアが石原を取り上げる機会が多くなったことから

墓所への参拝者が増加。現在においても年間500人が来訪するという。

 

郷土、国家に尽くした石原莞爾に思いをはせる

 

現在でも、石原への評価は分かれている。

満州事変を起こしたことで、戦争への引き金を引いたともいえるし

対米英戦に反対するなど、現実的な側面を見ることもできるからである。

さらには熱烈な日蓮宗の宗徒であり、地元の農業振興に力を入れたことから

山形県民からは郷土の偉人として大きな敬意を集めている。

石原の行動は愛国心から出たものは間違いのないことであって

ぜひ多くの方に知っていただきたいプロジェクトである。

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