実は私、競馬ファンだったのです
某動画投稿サイトでたまたま、「走れコウタロー」という歌を見つけて
懐かしいなーなんて聞いていたら、何と「ウマ娘プリティダービー」で
カバーされているのを知った。
久々に聞くコウタロー
1970年に発表した曲である。1970年即ち昭和45年は、競馬花盛りの頃で
その一方、東京都の美濃部達吉都知事が公営競馬の廃止にも取り組んでいたころ
ということもあり、この歌では美濃部知事の記者会見のモノマネも披露されている。
テンポの良い楽しい曲であり、これまでにない手法(そもそも競馬の歌自体が初)
であることから、一躍大ヒット。日本レコード大賞も受賞した。
最終的に100万枚ものレコードが売れたという。
競馬の歴史にロマンあり
僕は、ギャンブルはやらないのだが
子どもの時から競馬を見ることが好きだった。
僕の世代はビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンの3強の時代だったが
それからさらに時代を遡って、それこそシンザンの頃までレース映像を見たものだ。
シンザンといえば、戦後で初めてのクラシック三冠馬(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)であるが
シンザンが圧倒的な強さを誇ったんじゃ面白くない。
ウメノチカラ、メイズイといったライバルがいて、彼らとの攻防戦の末に
三冠馬となったのである。
その後、三冠馬といえば1983年ミスターシービーや1984年シンボリルドルフなどが出たが
「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフと比べて、ミスターシービーは
走りにムラがあり、菊花賞の前走・京都新聞杯では4着に敗れているほどだった。
それでもシービーが根強い人気を誇ったのは、黒鹿毛に渋い面を見せていたためで
「ダンディズム」と評されるほどであった。
そのような高い人気を誇ったシービーだが、一年後輩のルドルフとレースで対決することも
多く、残念ながらその大部分で後塵を拝してしまう。
しかし、競馬はレースであり、ライバルの存在は時に下馬評を覆し、時には敗北するという
数々の「ドラマ」を生んできた。これが競馬の大きな魅力であろう。
もちろん、悲劇も多く誕生した。トウショウボーイ(ミスターシービーの父)
グリーングラスと並び三強と呼ばれたテンポイントは、クラシックを制することは
できなかったが、1977年春の天皇賞で一着。これからという翌年の日経新聞杯でまさかの骨折
治療の甲斐もなく死去した。体重が400~500kgにも達するサラブレッドは
細い脚で全体重を支えなければならず、そのため骨折するだけでも競走馬としては
命取りになりかねない。そのため、騎手も気を付けなければならないのだ。
逆に、大きな活躍はないが、大きな事故もケガもせず、無事引退まで漕ぎつけた
1985年のデビューから、47戦に出走。7勝でG1に勝利することはなかったが
常に掲示板に入り(競馬のレースでは5着まで賞金が出る。競馬場の電光掲示板に載るため「掲示板入り」という)4億円も稼いだ。
息の長い活躍も立派なドラマである。
訳が分からない最近のレース
最近のレース、すっかり見なくなってしまった。というより浦島太郎状態である。
馬齢の数え方も変わったし、レースもかなり増えてしまったためG1勝利馬といっても
それほどのインパクトを感じなくなってしまった。
時代のニーズに合わせようと、JRA(日本中央競馬会)がいろいろと考えた結果なのだろうが
僕は昔のスタイルが好きだった。
あ、ちなみにJRAは農林水産省所管なので、負けた場合でも一企業が儲かるような
ものではないし、1日のレース数は決まっているから、ギャンブル依存症になる人も少ない
のではないかと思う。何より、賭けなくてもレースを見られるのが良い。
ぜひ皆さんも、一度は競馬というものをご覧になってみては。