白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

仲間のOさんに捧ぐ

長男・Oが永眠しました—―。
先日、北海道から届いたお便りである。
12月に送った年賀状には「北海道に行った時にまた飲みましょう」といった
内容のことを書いた。その返信が痛恨の知らせとなってしまった。
僕は年賀状を出した後に
さて、北海道に行くには・・・と楽しみに考えていた矢先の訃報であった。
あまりに急な知らせであったので、僕はふわふわした心地になりながら
別人と間違えたかな、と楽観的な方向に逃げた。
とはいっても、黙っているわけにもいかず
北海道の別の仲間に「Oさんが亡くなったってホント?」と確認してみた。
その仲間は大層驚き、しかし「ああ、やっぱり・・・」と絶句していた。
やっぱり、とはどういうことか。
Oさんはもともと体が弱く、最近は特に体調を崩しがちであったのだという。
確かに僕も昨年Oさんが入院したことは知っていたが、さすがに命に関わるものでは
あるまいと、軽く考えていた。
「最近はよく自転車で走っていて頑張ってたんだよ」
その仲間は声を震わせながら語った。僕も、泣いていた。


Oさんとは歳も近く、物腰がやわらかで僕は大好きだった。
初音ミクが好きなんだって言ったら、Oさんから札幌限定の雪ミクフィギュアが
送られてきて、とても嬉しかった。
僕も地元の日本酒を送ったら、Oさんは温泉旅行にその酒を持っていってくれて
客室に付いている露天風呂に入りながら「うまいうまい」と酒を飲んでくれた。
だから、そのOさんが体調を崩したと知った時
決して悪い方向には考えなかった。また元気になって、外配信してくれるんだろうと
期待していたのである。
僕にとって、北海道の仲間たちは気の置けない人情味あふれる素敵な人たちだが
Oさんはクセのある北海道の仲間の中でも、そよ風のようなゆるやかな性格で
うまくバランスを取っていた。だから僕は北海道の皆が羨ましく、心強かったのだ。


Oさんの他界を知ったのは一月下旬のことであったが
葬式は済んで、あらかた落ち着いたころに知らせがきたのであるから
喪に服することができない。
せめてツイッターを三日自粛することにした。
だからどうだというわけではないが、いずれにせよ心から楽しめる状態ではないのだから
数年前のOさんの動画などを見ては涙していた。
まったくもって、天は良い人ばかりを召したがる。
Oさんはあっちで、風呂に入りながら酒でもかっくらっていてほしいと
思う次第である。


合掌