本日は第一次大戦終結97周年!
本日は11月11日というわけで、やれポッキーの日だ
なんだとネット上ではお祭り騒ぎのようだが
実は今日は、第一次世界大戦終結から97周年にあたるのをご存知であろうか。
それまでの国際紛争の概念を全面的に覆し
とてつもない規模で、とてつもない人数が相争った戦争である。
この戦争に勝利した側はまさに官軍であって
それまでの紛争や領土問題などは勝者側が解決したため
「全ての戦争を終わらせるための戦争」ともいわれる。
この戦争の発端は、一発の銃声によるものというのが一般的である。
いわゆる「サラエボ事件」。オーストリア=ハンガリー帝国の
フェルディナンド皇太子夫妻がセルビアの民族主義者に暗殺されたのだ。
ではなぜ、トータル・ウォー(総力戦)に至ったのか。
NHK「映像の世紀」では、「クリスマスまでには帰れる」と
各国首脳や将兵は楽観的だった旨が描写されている。
これほどまでに楽観的だった理由は、参戦した欧州各国が
全面戦争に消極的だったことである。
即ち、オーストリアはセルビアを懲らしめる目的で宣戦布告はしたものの
オーストリアのベルヒトルト外相はあくまで局所的な戦争に留めるつもりであった。
ドイツはオーストリアの同盟国であったが、戦争をするには極めて大きな
リスクが伴うことをわかっていたし、セルビアの同盟国であるロシアの参戦を阻止したかった。
ロシアはロシアで、全面動員は避けたいという思惑があった上に
英仏の助力が必要だった。ロシアの動員はオーストリア向けに限定しようというのであった。
実は、ドイツのヴィルヘルム2世とロシアのニコライ2世は
いとこ同士だった。また英王室もドイツ帝国とは縁が深く
欧州の王家は骨肉の争いだったわけである。
この事は、ヴィルヘルム2世とニコライ2世がお互いニックネームで
呼び合う仲であり、2人の間で動員解除を求める電報のやり取りが
残されていることからも、決して憎しみから開戦に踏み切ったわけではないことを
物語っている。
実際、独露の皇帝は総動員下令に最後まで躊躇していた。
ニコライ2世は総動員下令後「取り消すことはできないのか」と
軍部に確認し、それができないと聞かされて初めて、大規模な大戦に突入していくことを悟ったのである。
一方、英国はというと、正直自国のことで手一杯であった。
北アイルランド独立問題が活発になり始めていたからである。
フランスもまた、分析の結果対独戦は1917年まで勝利を得ることはできないであろうと
結論づけられ英仏ともに参戦には消極的であった。
つまり、第一次大戦は、実はどの国の首脳も大戦になるとは予想もせずに始まったのである。
オーストリアとセルビアの問題に、各国がなし崩し的に引きずり込まれたわけである。
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この背景をより深く知るために
本書を紹介したい。各国の外交の駆け引きや
首脳の反応について詳しく載っているのでお勧めである。
ところで、いかに「お上」が戦争に消極的であろうと
軍隊はそうはいかない。ドイツ帝国軍の
アルフレート・フォン・シュリーフェン参謀総長は
フランスを屈服させるための戦術として
フランス北部のベルギーを大きく迂回して一気にパリを目指す
「シュリーフェン・プラン」を策定した。
これは、第二次大戦の時にドイツ国防軍のマンシュタイン元帥が
改良を加えてフランスを一気に攻めたてたことで有名である。
このシュリーフェン・プランは結局、マルヌ会戦でとん挫した。
「歴史群像」内でも言及されているが、このシュリーフェン・プランは
ドイツ帝国軍の限界を越えたものであり、到底実行不可能であったという見方が
なされている。