白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

戦争と死生観

さて、無事福島支部設立は名実ともに設立し
後はどれほどまでに行動する保守運動を広げられるかに
かかっている。
僕は福島支部の前途は、実に洋々としており
まさに黎明を迎えようとしていると見ている。
これから人数が増えれば、宮城よりも効果的な活動が
できるものと信じている。


ところで、いつものごとく集会の後は懇親会があったが
この席で、警鐘RANDA!!の桑原氏と熱く語り合うことができた。
人懐っこさと、純粋さでいつも好感を持てる人でいながら
柔軟な考え方もでき、行動力も人一倍あるので尊敬している氏だが
特攻隊や戦争について語ったのである。
氏は鹿児島県は知覧にゆかりがあるということで、特攻隊には
ひとかたならぬ思いがあるそうだ。
「特攻隊が無駄死にだったとかっていう左翼の言い方は許せない」
と語る桑原氏。側面では、そこまで追い詰められながら
若者を死地に行かせたという国家の責任はあるものの
特攻隊という方法は、それぞれがその時にできることを
行った精一杯の戦い方であった。
そしてその自己犠牲の精神はアメリカをして恐怖させ
本土上陸作戦には強硬な反対論が出たほどであった。


もちろん、戦史を知る人であればこのような戦い方は
極めて無謀であるという人が大勢であろう。
一つ例を挙げると、ダメージコントロールが発達した
アメリカの航空母艦は、魚雷でなく爆弾を抱いた
特攻機の突入では撃沈が困難になっていたのである。
従って、突入に成功しても、飛行甲板に大穴を開ける程度だった。
そもそも論において、すでに敗色濃厚となった段階で
大きく譲歩した講和を行うべきであったし
実際動いている部署もあった(海軍和平工作など)。


だが、後でああすれば良かった、こうすれば良かったとは言えるが
その場に居合わせた時に何ができるかといえば
やはり目の前にある役割を果たすことしかできないだろうと思う。
ただし、特攻隊をはじめとする多くの英霊の犠牲により
その分本土にいる多くの命を救い
再び経済大国として、今や対支大同盟の盟主となり得た。
実は今でも、知覧や鹿屋などの航空拠点だったところには
掩体壕空爆から航空機を守る格納庫)が残っているという。
これら戦争遺跡を見ながら、感謝の言葉を言いに行きたいものである。