ジョセフ・グルーの活躍
今日は、中堅と一緒に街中に行き
本を数冊買ったんだが、その中でとてもワクテカするものが。
- 作者: 太田尚樹
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2013/03/15
- メディア: 単行本
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この人物の名前は、それこそわが国の現代史に通じた方でないと
ご存知ないだろう。
だが、この人物こそわが国にとって極めて重要な人物である。
このジョセフ・グルーは、1931年から1941年の10年間
米国の駐日大使として、悪化する日米関係の緩和に尽力したことで
知られている。
出自も、モルガン家に連なる名門で、職業外交官として
欧州で辣腕を奮った後、極東の帝国にやってきたというわけである。
僕も前からグルーについては、興味を持っていた。
日米開戦の後、国務次官として早期終戦に向けて尽力し
原爆の投下にも反対、皇室の護持にも当時のトルーマン大統領に
強く進言したため、「米国にも常識を持った人物がいた」と
尊敬の念を抱いていた。
というのは、当時のルーズベルト政権とトルーマン政権は
極めて対日強硬派で占められていたのである。
ヘンリー・スティムソン(陸軍長官)、ディーン・アチソン(国務長官)
ジェームズ・バーンズ(国務長官)などが対日強硬派として知られているが
特に、ヘンリー・モーゲンソー(財務長官)は、その最先鋒だった。
モーゲンソー・プランを見ればわかる通り
「2度とドイツが戦争を起こせないように、工業力を取り上げろ」
と極端なことを考える人物だったのである。
財務長官が、たびたび職責を超えた政策に口を出したため
「影の大統領」とも言われた。
ところで、日米開戦時の国務長官、コーデル・ハルは
「ハル・ノート」の存在から悪役になりがちだが
実は、ハル・ノートの手交に反対したのがハルなのである。
むしろ、米国側が日本に譲歩し、開戦を回避するべきと進言していた
ことがわかっている*1。
そんなわけで、グルーが日本を擁護しようとした背景には
何があったのか。この本にはそのヒントが隠されている。
特に交友関係を見て行くと、リベラルな政治家が多い。
西園寺公望、岡田啓介、広田弘毅、米内光政、鈴木貫太郎
斎藤実、牧野伸顕、吉田茂ら、そうそうたる顔ぶれだ。
特に、2.26事件の日は斎藤実と鈴木貫太郎夫妻は
グルーに招かれて映画鑑賞を楽しんでおり、その数時間後の
両名の遭難を聞き、言葉に言い表せないほどショックだったようだ。
また、昭和天皇の影響力にも期待を示しており
親近感を持っていたようである。グルーは、日本で滞在した日々を
通じて、その指導者層と交遊を育んでいたのであり
日本国民と接して行くうちに、この国家の潜在力に気づかされていく。
まだ読了していないので、結論は言えないが
しかし、グルーの強い進言がなければ国体の護持ができたかどうか。
それはまさに、日本を知り尽くしたグルーならではの
獅子奮迅の活躍だったのである。