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ジョセフ・グルーの活躍

今日は、中堅と一緒に街中に行き
本を数冊買ったんだが、その中でとてもワクテカするものが。

駐日米国大使ジョセフ・グルーの昭和史

駐日米国大使ジョセフ・グルーの昭和史

ジョセフ・グルーの伝記ともいうべき一冊。
この人物の名前は、それこそわが国の現代史に通じた方でないと
ご存知ないだろう。
だが、この人物こそわが国にとって極めて重要な人物である。
このジョセフ・グルーは、1931年から1941年の10年間
米国の駐日大使として、悪化する日米関係の緩和に尽力したことで
知られている。
出自も、モルガン家に連なる名門で、職業外交官として
欧州で辣腕を奮った後、極東の帝国にやってきたというわけである。


僕も前からグルーについては、興味を持っていた。
日米開戦の後、国務次官として早期終戦に向けて尽力し
原爆の投下にも反対、皇室の護持にも当時のトルーマン大統領に
強く進言したため、「米国にも常識を持った人物がいた」と
尊敬の念を抱いていた。
というのは、当時のルーズベルト政権とトルーマン政権は
極めて対日強硬派で占められていたのである。
ヘンリー・スティムソン(陸軍長官)、ディーン・アチソン国務長官
ジェームズ・バーンズ国務長官)などが対日強硬派として知られているが
特に、ヘンリー・モーゲンソー(財務長官)は、その最先鋒だった。
モーゲンソー・プランを見ればわかる通り
「2度とドイツが戦争を起こせないように、工業力を取り上げろ」
と極端なことを考える人物だったのである。
財務長官が、たびたび職責を超えた政策に口を出したため
「影の大統領」とも言われた。
ところで、日米開戦時の国務長官コーデル・ハル
ハル・ノート」の存在から悪役になりがちだが
実は、ハル・ノートの手交に反対したのがハルなのである。
むしろ、米国側が日本に譲歩し、開戦を回避するべきと進言していた
ことがわかっている*1


そんなわけで、グルーが日本を擁護しようとした背景には
何があったのか。この本にはそのヒントが隠されている。
特に交友関係を見て行くと、リベラルな政治家が多い。
西園寺公望岡田啓介広田弘毅、米内光政、鈴木貫太郎
斎藤実牧野伸顕吉田茂ら、そうそうたる顔ぶれだ。
特に、2.26事件の日は斎藤実鈴木貫太郎夫妻は
グルーに招かれて映画鑑賞を楽しんでおり、その数時間後の
両名の遭難を聞き、言葉に言い表せないほどショックだったようだ。
また、昭和天皇の影響力にも期待を示しており
親近感を持っていたようである。グルーは、日本で滞在した日々を
通じて、その指導者層と交遊を育んでいたのであり
日本国民と接して行くうちに、この国家の潜在力に気づかされていく。
まだ読了していないので、結論は言えないが
しかし、グルーの強い進言がなければ国体の護持ができたかどうか。
それはまさに、日本を知り尽くしたグルーならではの
獅子奮迅の活躍だったのである。

*1:真偽のほどはわからないが、ハル・ノートを起草したハリー・ホワイトはコミンテルンのスパイだったという証言が複数存在する。