白雉日報社公式ブログ

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沖縄の本土復帰、社民党のカスを糾弾する

今日は、実はあまり話題になっていないが
沖縄本土復帰記念日である。この日、国会では安倍晋三首相に対する
集中審議が行われており、その締めくくりの議論が行われていた。
主権回復の日が政府主催で行われたが、沖縄県では一部の人々の間で
「むしろ恥辱の日だ」と怒りの声が上がっていたようだが
当社記事の中で、それは的外れではないかと指摘しつつ
沖縄本土復帰の政府主催による記念式典も行うべきと主張した。



あまり国権の最高機関たる国会の悪口は言いたくないが
この日、参院で行われていた質疑をご覧になった方はどう思われていただろうか。
共産党社民党の質疑は、歴史認識(しかも他党の橋下大阪市長の件)
みんなの党はロシア外交と、前者2党よりはマシだが
僕は、はっきり申し上げてこんな下らない議論をやっているなら
沖縄本土復帰式典を政府主催でやればいいのに、と感じた。
筋を通すならば、式典を開催すべきなのだ。
とはいえ、我々は沖縄の間で分離独立派がいることも知っている。
社民党照屋寛徳衆院議員は、4月1日、自身のブログで
「沖縄は一層日本国から独立した方が良い、と真剣に思っている。」
と書いた。
そして5月15日、同議員は「41年前のこの日、どしゃ降りの雨に濡れ
ながら那覇市の与儀公園に集い、「核も基地もない沖縄」「平和憲法
の沖縄」の実現要求と日米両政府による「復帰」の欺瞞を糾弾するシュ
プレヒコールを上げていた」と書いた。


この同議員のブログには、明らかに書かれていない部分がある。
1つは、何を隠そう、沖縄県祖国復帰協議会を組織し祖国日本へ
復帰する運動を行っていたのが、組合系の左派勢力なのである。
しかもその過程の1971年11月10日に行われたゼネストでは
平和や非核をうたいながら、火炎瓶やゲバ棒による暴力事件を繰り広げ
警察官を殺傷するという事件を引き起こした。
今、沖縄県では左翼性力が跋扈し、いかにも沖縄は反政府勢力による楽園の様相を呈している。
しかし、本当の沖縄県民の声というのは
1967年(昭和42年)6月5日の沖縄及び北方領土問題に関する特別委員会
の中で山川泰邦琉球政府立法員議長が主張した
「日の丸を掲げることにつきましても、最近の日米協議委員会で
日本の国旗を琉球表示旗に併用することに合意しました。
これらの案件は、いずれも沖縄の多年の懸案でありました。
先般その解決を見ましたことはまことに喜ばしいことで
本委員会を通じ国会並びに政府に対しまして厚く御礼申し上げます」
であり、それこそ1959年(昭和34年)7月1日の参院本会議で
社民党の前身である日本社会党の中村高一議員の
「御承知の通り、沖縄の人々は、祖国への復帰を一日も早く実現したい
と念願をいたしておりまして、今回の安保条約の改定についても深い関
心を払っているのであります」
という言葉である。この安保条約の改定とはすなわち
米軍基地の縮小に関するものである。



しかるに、照屋社民党議員のブログの記述は、これらの声をすべて
否定するものであって、もしこれが沖縄県民の総意ならば
沖縄復帰に尽力した先人は大きく失望し、軽蔑することになるであろう。
もし、わが国の一員、国家を構成する自治体の一つとして
支那の領空領海侵犯に立ち向かうならば、わが国政府は沖縄への援助を拡大すべきだ。
だが、このように独立論を振りかざす売国奴が跋扈する限り
沖縄に対する認識はネガティブ方向に向かわざるを得ない。