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ドイツ革命がもたらした負の遺産

本日は文化の日でもあり、明治節でもある。
文化施設をはじめ、いろいろなところで取り組みが行われている。
ところで、歴史を見てみると11月3日は、いろいろな激動期を迎えた日だ。
目を引いたのは、1918年の今日はキール軍港で反乱が発生し
ドイツ革命が開始された日でもあるのだ。
第一次大戦が長引き、ロシア帝国は革命により単独講和が行われたほか
各国の厭戦気分が広がり、不穏な空気が流れ始めていたころである。
ドイツは、ロシア帝国と講和したことにより、西部戦線に注力することができるようになったが
ロシア革命のあおりをもろに受けたドイツ国内でも、3日のキール軍港の蜂起を受けて
全国で蜂起が相次いだ。9日には、社会民主党のフィリップ・シャイデマンが皇帝退位を宣言し
皇帝・ヴィルヘルム2世はオランダに亡命した。
この時、革命側にも急進派と穏健派で暗闘が繰り広げられたが
このあたりは林健太郎『ワイマル共和国』に詳しい。

昭和天皇は、このヴィルヘルム2世が国民を見捨ててオランダに亡命したことを反面教師とされ
大東亜戦争時も、東京を離れることを善しとはなさらなかったことは有名である。


また、ドイツ革命は共産主義を跋扈させ戦勝国による多額の賠償金が科された。
そのため、ドイツ経済はどん底に落とされてしまう。
そればかりか、領土は大幅に割譲され、それは神聖ローマ帝国の末期を思わせるありさまだった。
特に、オーストリア・ハンガリー帝国の解消とポーランド回廊の形成は後まで引きずることになり
ナチス政権のもとでオーストリアアンシュルス(合併)を迎えた。
さらにポーランド回廊によって、ドイツは東プロイセンが孤立する形となり
これが第二次世界大戦の直接的なきっかけとなるのである。