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南京事件をまたまた分析してみたい

さて、南京大虐殺があったのかなかったのか?
というテーマについて、朝野を沸かしている昨今だが
弊ブログでは以前、同じテーマで取り上げたことがある。
もちろん、大虐殺などなかった、という結論だ。
しかし、あまりくどくなってもいけないから同じ証拠は使わない。
すなわち、南京国際委員会からの感謝状、紅卍会からの感謝状だ。


今回、ちょっと視点を変えてみて
この事件に国民党軍が関わっていた、という点を紹介しよう。
本事件が国民党政府のプロパガンダに散々利用され
ジョン・ラーベをはじめとする事件を証言した人物は国民党関係者が
多いということも述べた。


ところで、この南京市で取材を行っていて事件を
目の当たりにした外国人ジャーナリストは少ないながらも存在した。
1938年1月9日ニューヨーク・タイムズ特派員のティルマン・ダーディンによると
「城壁に囲まれた南京攻防戦はまるで中世封建時代の様相だった。近代戦では考えられないが
 中国軍は日本軍に何も残さないことを目的に城壁周辺の作物、家屋を焼き払っただけでなく
 その被害は30億ドル以上と推定され、日本軍の砲撃被害を上回る」としている。
この記事の存在は
2010年の日中歴史共同研究報告書の中国側による
「日本軍の南京における放火、虐殺、強姦、略奪は国際法に著しく違反していた。」
という主張に齟齬が生じる。


また、記事は「蒋介石と参謀たちがドイツ人軍事顧問団の撤退アドバイスを無視し
具体的な防衛のめどもないまま南京死守を命じた。南京防衛を命じられた唐生智将軍は
約3万人の防衛部隊に死守を命じ、城壁外の揚子江には逃走用の船も数隻しか用意しなかったが
蒋介石と側近たちが南京を逃亡すると、唐生智と側近も逃亡し残された中国軍は混乱に陥った。
路上には中国軍が脱ぎ捨てた軍服と武器があふれ、兵士は民間服に着替えて国際安全地域に
逃げ込もうとしたため混乱を深めた」と続く。
南京攻略にあたり、日本軍は降伏勧告文を期限付きで城内に散布し
期限を過ぎても返答がないため攻略を開始した。
つまり、そもそも国民党側が無謀な死守命令を出さず開城に応じていれば
南京攻防戦は避けられた、という見方もできる。
そしてさらに問題なのは、指揮を取るはずの唐生智将軍とその側近たちが逃亡してしまったことだ。
それによって、国民党軍は大混乱となり軍服を脱ぎ捨て国際安全区に乱入しようとした。
散乱した軍服は写真にも残っているから本当のことなのだろうが
この流れは、国際法に2重に違反している。
ハーグ陸戦協定にあるところの第一章 交戦者の資格に
「部下の責任を負う指揮官が存在すること」「遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること 」とある。
この2つに違反しているのは間違いないことで、前述のように中国側が
日本軍の国際法違反を指摘するならば、中国軍こそが国際法違反を犯していたことも述べねばならない。


南京を防衛していたのはそれこそ指揮系統もなくなり、戦意喪失した兵士の集まりだった。
ところで1937年12月20日のタイム誌によると、その状況をこう記述している。
「南京では銃の扱い方さえよく知らない若い中国兵士が日本の正規軍と対峙していた。
中国兵の背後には、ドイツ軍事顧問団によって訓練された国民党政府軍精鋭第88師団がおり
逃げようとする若き兵士を後ろから撃って前線へと追いやった。こうして中国兵は虐殺された」
これが意味するところは一体なんだろうか。
当然、日本と国民党は戦争状態にあり、戦闘行為で殺し合うのは当然のことと言える。
しかし、督戦隊が背後におり逃亡しようとする兵士を射撃したというのは
虐殺ではないのだろうか。
ちなみに、延安に追いやられていた共産党は、南京から国民党高官が逃亡した事実を非難し
即時辞任を求めている。


現在の中国共産党は、南京事件について
日本軍の責任を声高に主張し続けているが
そもそもなぜ無謀な死守を命じたのか。便衣に着替えなくてはならない状況は誰がつくったのか
放火を行い、兵士を背後から射撃した責任は?
実はこの事件は、外的要因は日本軍による攻略作戦があったにせよ
内的要因である国民党の対応次第で防ぐことは十分可能だったと判断せざるを得ないのである。