学生時代に学んだ「穏健」
さて、今日は晴れ、やや暑い。
あれ?おかしいな。見知らぬパソコンが…。
おっと、これ買ったやつだ!と喜びに浸るのが最近の日課です。
めっちゃ早いし、動画もサクサクだし、とても満足。
まだ操作はなれていないけど、この分だと早めに慣れることができそう。
そんでまた時代の波は追い越していくわけだ。
一体全体、この波はどこへ向かっていくのだろうか。
えーと、実は今日数年来の友人である
はじめさんとニコ生をさせていただいた。彼も自身では超穏健と
言っているが、その実静かに燃える男だと認識している。
実際、彼のバイタリティーはものすごいのだ。思い立ったらすぐ行動
というのは見習いたいものである。
俺も穏健候とHN名乗っているので、自己弁護だけさせていただきたいのだが
基本的に根拠もなく相手を批判したりということはしないようにしているつもりだ。
たとえば、支那人がなぜわが国を愛憎交わった目で見るのだろうとか
朝鮮人の立場から日韓併合を考えてみると、今の朝鮮人にとっては
確かに屈辱的なものだろうと理解している。こういうのは、大学時代に
培われたものであり、また学会において学んだ手法であるので
人間的にもあの時期は極めて重要だったと思う。
高卒の人も優れた人は大勢いるが、せっかくだし大学で学べる機会を
全国民に行き届ければ、これほどわが国にとって素晴らしいことはないと思う。
高校はどうしても、義務教育の延長のようなもので、まだ子供扱いを抜け切れていないが
大学では、教員と一緒になってあらゆる学問をあらゆるアプローチで検証できる。
従って俺は、学生時代がとても幸福だったし、満たされていた。
まぁ金には困っていたけど、ある意味それが学生だった。
多くの級友にも恵まれたし、今でも母校を訪れると当時を思い出す。
「穏健」という土台は、まさに大学において学んだのであった。
一つの見方では、盲目と変わらない。時に相手の立場になり
またこちらを批判する立場から物事を考えることも大事なのだ。