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占守島守備隊に学ぶ

このまえ、本屋で買い求めた新潮文庫の下記の本。

8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記 (新潮文庫)

8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記 (新潮文庫)

これは守備隊関係者やご遺族、公刊戦史などを総当りして
微に入り細を穿つがごとき綿密な考察で
ソ連軍と、それを迎え撃つ日本軍守備隊が
いかに作戦行動を行ったか検証されていて
読んでいて唸るところが多かった。かかる書籍は
現在の北方領土の兼ね合いもあり、重要な考察であることは
言うまでもないから、本書を広く宣伝し洛陽の紙価を高めるものである。


さて、手元にいくつかの資料がある。
第91師団の長島厚参謀による『北千島の停戦交渉』
同師団占守島国端崎速応小隊の野呂弘氏による『カムチャツカ横断の旅』『天領丸の悲劇』『北千島占守島国端崎の戦闘』
がそれだ。これは、5,6年くらい前に2ちゃんねる
「俺の祖父が軍人で、占守島の戦闘の記録をまとめたんだが
 欲しい人にはコピーをあげる」という方がいて
ぜひ、ということで送ってもらったものだ。
どうも新潮社の本で見覚えがあると思ったら、この資料からの引用もあり
やはり書籍にした人がおったかと合点がいった。
占守島での戦闘は、一般の方はあまりご存知でないだろうが
実は対ソ戦において、日本軍が上陸したソ連軍を追い詰めたという
有利に進行した戦闘の一つなのである。
ソ連軍が占守島に上陸したのは8月17日。15日の玉音放送終戦となり
めいめい、武器弾薬の処理や、引き揚げに向けた準備を行っていた最中のことだ。


第91師団の堤不莢貴師団長はすぐさま「全軍挙げて殲滅せよ」と命令。
北海道を管轄する第5方面軍の樋口季一郎中将も「断固上陸軍を粉砕せよ」と命令。
一気に北千島は戦場と化してしまった。
しかし、ソ連軍の上陸は米軍のそれと違い事前砲爆撃が不十分であったことと
日本軍側は対米戦を予測して、かなりの兵力が配置されていた。
特に、第11戦車連隊長・池田末男大佐は満州から転任してきたツワモノで
学徒動員の見習士官にも
「大学在住中の者まで動員せねばならならぬところまで戦火を
 拡大してしまった日本軍部の上層部は間違っている。貴様たちは
 ご両親が苦労して大学に入れて、その得た知識を国のために活かす
のが使命で、その知識を命にかえてしまうのは残念である。
 自分たち軍人とは国民皆兵の時代とはいえ、全く立場が違うはずだ」
と述べるなど、温情溢れる指揮官としても知られた。
この島での戦闘は壮烈を極めたが、ソ連軍は戦車を揚陸していなかった。
そのため、第11戦車連隊は池田連隊長車を先頭に30数両でソ連軍に
突進。多大なる損害を与えた。
だが、ソ連側も対戦車砲を持ち出すなどの反撃に転じ
池田連隊長をはじめ、多くの高級将校が戦死を遂げた。
とはいえ、日本軍が得意とする夜襲なども有効で、ソ連側は押され始めた。
さらに隼、艦攻隊などの航空支援もあり、日本軍側は自衛戦闘に
留まったとはいえ、まったく勇敢な戦いであった。


言うまでもないことだが、これはソ連側の侵略である。
日ソ中立条約は破棄を通告されてからも1年は有効であるのに
それを平然と破り、日本軍将兵を拉致し抑留した。
今のロシアは対日戦勝記念日とか言っているが
そもそも日本側は侵略を受ける前に降伏していたわけで
ナチスがベルギー、オランダを侵略したのと何ら変わりはないわけだ。
それを戦勝記念日とかいっているのだから厚顔無恥もいいところである。
だが、明らかなのは第91師団がなければ、ソ連軍は千島を占領して
北海道に侵攻していたことだ。つまり無抵抗主義がいかにバカな主張か
これだけ見ても明らかである。
この事実は、当然我々が知るべきことだろうし…
北教組!コラ、檻から出るんじゃない!