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荒浜より緊急のお知らせその2

本日は、200人から300人のご遺体が収容された
仙台市若林区荒浜地区に再び行ってまいりました。
今回は、仲間のH川さんが同行されて、装備も整えての出発。
一昨日通れなかった場所も通ります。


その前に、仙台港の火災現場に行こうと
蒲生地区から向かおうとしました。県道で行きますと
規制線が張られていて行けないためです。

ところが、このような感じになっていて車は水没
道は余りにも悪くて、通れません。
自衛隊のショベルカーが道をつくっている最中でした。
蒲生地区はほぼ壊滅。すべて押し流されてしまっています。


仕方ないので、農業園芸センターから再び荒浜に向かいます。
なぜ荒浜にこだわるのかというと、報道陣はすべて南三陸町
福島原発に手を取られていますが、荒浜もまた現在進行形で
被害が悪化しつつあるから、それから南三陸までいくと
多分ガソリンが足りなくなるからです。
地元を心配する心情でもあります。現実をきちんと認識しないと
復興する意志がわかないのでは、という自分なりのわがままでもあります。
2日前までの道から、流木を乗り越えてさらに海に近づきます。

橋が落ちてしまっています。
そのほかにも、アスファルトが絨毯のように
剥がされていて、ガードレールはぐにゃりと曲がり
電柱は根っこから倒されています。本当にひどいです。



ついに海岸近くまでやってまいりました。
スカスカになっていた松林のところです。
ここにも人家が建ち、お店もあったはずですが
すべて押し流されています。消防局ヘリポートが近くにあった
からだと思いますが、消防局のヘルメット、ヘリ操作マニュアルなど
いろいろなものが散乱していました。



荒浜小学校のすぐそばまで参りました。
ここには昨日、230人の方が取り残されていましたが
ついに救助隊がたどりついたということで
皆さん無事に脱出することができました。
津波はここの2,3階部分までやってきたとのことです。
1階部分は完全に損壊しています。
道が悪く、道路がなくなっておりますのでここに来るまで
かなり悪戦苦闘しました。手前に見えるのは池ではありません。
「田んぼだった」場所です。



ここは県道10号線、岩沼・亘理線です。
コスモ石油が見るも無残な姿になっていますが
周囲もまた酷い状況です。確かこの先にセブンイレブン、そして
ラーメン飛龍というおいしいラーメン屋がありましたが
その面影はまったくありません。すべて瓦礫の山です。
ここで規制線が張られていますが
現在自衛隊、警視庁、消防の方々が懸命の救助にあたっています。
規制線のところにいた警察の方は
「今は救助用の道路をつくるだけで精一杯、ご遺体だけでも
 ご家族のもとに返してあげなくては」とお話しされていました。
知っている道なだけに、本当に信じられず、ただ絶句するのみです。
行方不明者がどれだけおられるのか、まったくわかりません。
この荒浜地区だけでも、相当数に上ると思いますが
まだ何もわかりません。本当に悲しい。悔しいです。


帰りに若林区役所に寄ってきました。
電源がわずかですが復活しております。

援助物資も続々と届いております。これは新潟市からの援助物資です。
本当にありがとうございます。皆様からの暖かい声、届いています。
まだまだライフライン途絶した状態で大変ですが
何とか頑張っていこうと思います。