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栗原と登米へ

今日は久々に神崇連の活動もやったのだよ。
いや、今まで神社には行っていたんだよ。
月1で東口の塩竃神社に参拝すると、なぜか仕事が
うまいこと終わるんだよな。
それはさておき、栗原市登米市とか行った。仕事だけど。
ただ、その途中に神社通ったりして、寄ったりね。


まずは栗原市にある久須志神社。
ここは4号から鴬沢に向かう途中にある。
不動明王」の看板でわかると思う。

この神社は、栗原寺境内社という感じで
存在していて、鳥居はボロボロだが、社殿はそれなりに
立派なものである。
祭神は不明だが、全国各地にある同神社では
大己貴神少彦名神となっており、順当に行けば
それで間違いないと思う。

ご覧の通り、非常にボロボロだ。
しかも石段もあぶなっかしくて
帰りが恐かったね。


次は登米市佐沼にある八幡神社
実はここ、佐沼城跡の橋渡ってすぐの場所にある。

この神社は、伊達騒動連座して失脚した津田景康の弟・春康が
元禄2年(1689)に佐沼4,000石を領した時、新田村にあったのを
遷座したのが始まりとされる。
祭神が、応神天皇と武神であることから、ご他聞に漏れず
長いこと崇敬された。

鳥居も立派な八幡鳥居で、社殿も良い。
板碑には御崎大明神というのもあるが
これは明らかに気仙沼の御崎神社のものであろう。



次は佐沼城内にある出雲神社・照日権現。
そばに弘安年間(1278〜1287)の板碑があるが
創建はおそらく最近のものと見られる。

状況だけで考えられば、板碑の頃と同年代であっても
不思議はない。なぜならば、権現とは仏が神の姿を借りて
降臨したものであり、神仏習合の表れであることから
板碑との関連性は否定しきれないからである。
この佐沼城を築いた照井太郎高直と照日権現を関連づける方がいて
なるほどと思うが、この照井太郎高直は、藤原秀衡の家臣として
大崎八幡神社も建立しているのである。
大崎八幡神社は承安年間(1171〜1174)の建立であって
佐沼城の築城が文治年間(1185〜1190)と考えられているから
照日→照井になったと考えるには時代が合わない。
もっとも、大崎八幡神社以前に照日権現が建立されていれば
また別の話になると思うが。
俺はというと、もっとシンプルに出雲国造天照大神
子孫と伝わるためであると見ている。名前のほかに
鳥居が神明鳥居であるためである。神明鳥居は
天照大神を祭神とする神社に多く見受けられていて
神仏習合した際に祭神を天照大神→照日権現 としたのではないだろうか。
とはいえ、これも推測の域を出ない。
鳥居もオリジナルに忠実とは限らないし、こじつけだと
言われてしまえばそれまでだからだ。
何より、なぜ源義家坂上田村麻呂のように八幡神社だけではなく
出雲神社も建立したのか、ということが疑問になる。
だからどれも説の一つとして理解しておくのがいいだろう。