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寛文事件の伊東氏処分

今日の取材先に向かう時、健康にも配慮して
天気もよかったんで、散歩も兼ねて歩いて現場に向かったんだが
途中のお寺の山門に、「烈士伊東七十郎碑」というのがあった。

伊東氏といえば、仙台藩でも重鎮なので
その関係だろうか。と思い、写メしといたんだが
俺がまとめていたデータベースにしっかり載っていた。
伊東七十郎重孝は、仙台藩平士の身分ではあったが
山鹿素行兵学を学んだエリートだった。
伊達綱村の代に家臣団の間で派閥抗争が激化すると
伊達兵部の殺害を企てたということで、斬刑に処せられ
一族の伊東重良・重門は流刑・禁固となった。
後に伊達兵部派が失脚すると、むしろ主家のための義挙として
綱村からお家再興を認められ、重良の子の祐栄は
少老(若年寄)となるなど藩政でも活躍した。