今日は東京大空襲の日であり、陸軍記念日でもある。
昭和20年の今日は、東京大空襲があった日だ。
カーチス・ルメイ准将の率いるB29の大編隊が東京を空襲
浅草、本所、深川、本郷など下町一帯を灰燼に帰した。
およそ10万人が死亡し、外交評論家の清沢洌もこの時の様子を
「ある者は水に入って溺死し、ある者は防空壕で煙にあおられて死に
死骸が道にゴロゴロしているとのこと。惨状まことに見るにたえぬものあり」
と、記している。
実は、あまり知られていないことだが
この時、日本政府は短波放送を通じてアメリカに対して厳重に抗議したのである。
つまり、残虐な兵器でもって、無辜の国民を多数殺傷したのは戦争犯罪であると。
この全文がどっかにあったんだが、ちょっと手元にないので
覚えている限り。
しかし、アメリカからは返事がなく完全に無視された形となった。
この政府としての正式な抗議は、原爆投下の際にも行われたほか
大規模な空襲の際には出されていた。
国家は、戦争勃発の際には国民の生命と財産を守る義務があるわけだが
この大空襲。そして原爆投下。果たして国民を守り得たであろうか。不可能だ。
しかも、この空襲は無差別爆撃でなく、精密爆撃によって
民間人の犠牲を最小限に抑えることができた。そして、本土空襲の初期は
実際そうしていた。従って、明確な国際法違反なのはアメリカ側だった。
で、なぜか日本政府を訴える人々がいる。アメリカに訴えずにだ。
考えてもみてほしいのだが、この構図はどこか現代にも通じるところがある。
アメリカがベトナムで、ユーゴで、イラクで空爆を行った際
時の政府はアメリカに対して抗議を行い、国際世論は大抵アメリカを批判したものである。
だが、この東京空襲の際にこの残虐行為に関して、国際世論はどうだったか。
まったくルメイの空襲に批判はなかった。少なくともベ平連のような運動はなかった。
なぜか。そう、負けたからである。
歴史は常に勝者が作ってきた。今もそれは変わらない。
であるなら、敗者には敗者なりの歴史の掘り起こし方があるはずだ。
敗者のための歴史。これが今問われている。