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伊豆佐売神の式内社はどちらか?

今日は、宮城野区宮千代にある姥神社に行ってきた。
新寺通りを東に向かうと宮城野萩大通りとぶつかる交差点に出るが
ミルキーウェイの脇を入ると、小さいながらも神社がある。

この姥神社は、創建が不祥ながら別の場所にあったものを
その土地が個人所有になったことから、昭和42年(1967)にこの地に
遷宮と相成った。で、この土地は飯田氏並びに狭間氏の寄進により境内が拡張
昭和49年に社殿が新しく造営された。
祭神は伊豆佐売神とある。この「姥」というのは「イザナミ」のことで
祭神は伊豆佐比売神が正しい。また、同じ姥神社でも
石凝姥命を祭神としているところも多いが
つまり、姥神社には、本宮がないのではないだろうか。
ネットでも見当たらないし、神道辞典にも載っていない。
…今度神社辞典でも買ってみるか。


見たとおり、建築というか祠みたいなものなので
建築云々というのはないけども、神明鳥居であることから
この神社の祭神がイザナミであっても当然のことである。
で、この神社はWikiなんか見ると式内社となっている。
利府にある伊豆佐売神社も式内社となっている。
ところが、実際に延喜式を見てみると
宮城郡四座の項に「伊豆佐売神社」とある。これはこの姥神社の祭神が
同じく伊豆佐売神であることから、恐らくはそうだろうと言わざるを得ないが
いくつかはっきりしない部分もある。
まず、今の姥神社はいつから姥神社になったのか。
もう一つは、式内社は一社のことである。
つまり、宮千代か利府のどちらかを指して式内社と載せているから
どちらかはWikiにある式内社ではないということになる。
そして、式内社については、あくまで宮城郡一帯でのことであり
利府にある伊豆佐売神社もまた、創建が不明であり、祭神も同じであることからも
論社となるはずである。
とはいえ、利府の伊豆佐売神社は仁寿2年(852)に従五位下を賜り
塩竃神社の摂社となった。以後岩切・畑中にも分霊されたことを考えれば
前者の姥神社は伊豆佐売神社の分霊を受けた神社である可能性も否定できない。
じゃあ何で伊豆佐売神社じゃなくて、姥神社なのか。
ここらへんに関しては、神社の史料など残っていないところが多いので
何ともいえない部分が多いのも事実だが。