白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

新聞と雑誌のジレンマ

今日はくもり、やや涼しい。
落ち着いた天気なのは相変わらずで
もう冬も終わりなのを実感するね。
雪も降らないし…。
そろそろ神社めぐりを再開させる時かもしれないな。


今日は、まぁゆっくりした日。
土日が忙しすぎたんで、今日はこんなもんかな。
だから、予算委員会を見る余裕もあったってわけだ。
鳩山総理も、煮え切らない態度で困ったもんだと
まぁ思うんだけれども、あまり下手なこというとマスコミに
叩かれるってこともあるんだろう。
俺も端くれだから、反省しなきゃいけないところではあるんだけど
「20代の時の株取引の記録は?」とか質問があったけど
「そんなもんわかるわけねぇwwwww」とかね。心の中では多分言うてると思う。
でも、そんなこと言ったら『首相、株取引記録に「わかるわけない」不透明さ増す』
なんて書くわけですよ。前後関係とかそういうのは小さく書いて。
じゃあ何でそういうふうに書くのかっていうと、見出しとかリードっていうのは
読者が食いつきやすいものにしないと、読んでくれないからだ。
だから、週刊誌なんかでも『人気グラドルが、豊満ボディを惜しげもなく披露』とか書くが
実際それほど露出がなくて、ガッカリした人もおられると思う。
俺も、『○○問題にまったなし!』『○○崖っぷち、打つ手なし!?』
とか、打つこともある。
大げさじゃないのかとか、思ったりすることもあるが、まずは読んでもらわないと
いけないわけだから…と納得させているのだが
中身が大したことなかったら、読者の方も「どうせ釣りだろ?」と冷めてしまうと思う。
それが増えてくると、新聞や雑誌が信用できないっていうことで
新聞離れ、活字離れに繋がってくるんじゃないだろうか。
記事に自信があるから読んでほしい。でもそのためには見だしを工夫しないと…
でも見だしをあまり大げさにすると、内容が薄くなってしまう…
こういうジレンマがあって、真に読者が求めている雑誌というのが
どこも模索している段階なのではないだろうか。
ただ、明らかなのか、いずれにせよ記事の内容には責任を持って
正々堂々と公平正論であるべきということ。それがジャーナリズムの基本だ。