白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

第参次広い地域は計画性が必須ですのよツアー

生活欄では、中堅氏への猛省を促すものとしておいて
こちらは神崇連の活動内容をば。


今回の目標は大崎八幡神社で、本社は旧田尻町にあって
東側に位置している。
我々は国道4号を北上していたため、東側に向かう必要があったが
実は4号沿いに志波姫神社があるとわかっていたので
そちらを先に行った。

志波姫神社は、工業団地に向かう途中にある。
江合川のすぐ脇に本神社は鎮座する。

どこの神社もそうだが、森の中にある場合が多い。
これは、元々神社が社殿を持たず、杜をモリと呼び
神域としていたからである。後に神社神道が始まると
「かんやしろ」つまり「神の杜」となり、最終的に「神社」となった。
森は、鎮守の森として昔から崇敬されていただけでなく
地域の人々のコミュニティの場としての役割も果たした。

さて、この志波姫神社。以前行った旧志波姫町の志波姫神社と
同じかと思い、宮司さまにお聞きしたら、全然別のものだという。
では、『延喜式』「神名帳」に記載されているのはどちらなのかって問題だが
これも随分論争があったようだが、結論は出ていないようだった。
志波姫神社は、木花開耶姫命を祭神としている。
しかし、ここでは天鈿女命を祭神としているわけだ。
この天鈿女命は天の岩戸を開くために、踊りまくった神様であり
その子孫を猿女といった。これは、猿田彦神の名を負ったものとされる。
宮司さまのおっしゃるには、塩竈神社の脇にある猿田彦神社式内社だが
そことの繋がりを示すものこそ、猿田彦神と関係が深い天鈿女命を祭神とする
本社なのである。この2つの神社は、実はセットなのでは?というお話だった。
ここでは、快くご朱印を書いてくださった。


次は、田尻にある大崎八幡神社へ。
てっきり古川にあるもんだと思っていたけど。
道は狭く、また看板はかなり近くまで来ないとないので注意だ。

この神社は、仙台市民なら馴染みの深い大崎八幡宮の元祖。
もともとこの神社は、坂上田村麻呂鎮守府八幡として創建したのが始まりだが
奥州探題の大崎氏が家の守護神として厚く崇敬し、大崎八幡宮と称した。
ところが、その後伊達政宗が大崎氏を滅ぼすと、大崎八幡は
まず岩出山に、次いで仙台に遷座され、今に至っている。
ちなみに、大崎氏は、山手線の駅にもなっている大崎のあたりから出ている。
それに、大崎氏と領地も隣接し、たびたび争った葛西氏も
今の東西線葛西駅があるあたりの出である。
初春が「私が西葛西出身ということも関係ないです!」
と言っていたが、あそこらは下町なのかな?

立派な社殿だが、神明造かぁ…。
ちなみに摂社に八幡社があったが
多分、これは伊達政宗が米沢から遷座させてきた成島八幡だと思う。
ここでもご朱印をいただくことができました。