白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

きっく、ジンジャーへ行く

今日は晴れ、やや暖かい。
台風一過ってことで、今日は綺麗に晴れた。
ただ風が少し強くて、布団干そうかな
と思ったけど止めた。


原稿はできました。まぁ正直、あんまいいできじゃないけど
俺の文章力も衰えてきたかな…。
もともとないじゃんっていうツッコミは不要で。
文章力もそうだが、ネタが今一だった。
で、今日は緊急で原稿の差し替えをするための聞き込みとかしてたな。
一旦出した後に、別情報が入ってきて急いで原稿の中身を替えることを
差し替えというが、あんまりしたくないんだよな。混乱するから。
それは俺の気持ちに過ぎないわけで、実際はいっぱいしてます。


今日は、西多賀周辺をかけずり回って神社に行ってきました。
神社庁で出してるマップを元に、今日はここ、今日はここというふうに
してるわけだけど、全部載ってるわけじゃないので
地図で見て、行くことのほうが多いかな。
傾向としては、当然だけどニュータウンには神社が少ない。
駅前には核となる大きな神社が一つある場合が多く
古い土地でも、でかい神社があって、それが支配している神社が点在する。
今回の西多賀周辺は、後者の古い土地。
陸奥国府の多賀城って名前は、多賀神社からつけたって話もあるほどだ。
そう、今回のねらい目は多賀神社だよ。

この鳥居は伊勢鳥居(神明鳥居)。棒を組み合わせただけのような簡素な鳥居が
山王鳥居といって、これが結構多い。この鳥居は一番上が二段になっていて
下の横棒が、柱からはみ出ていないので、典型的な伊勢鳥居だ。
多賀神社は看板も出てるし、狭いけど駐車スペースもある。
敷地もまた結構広い。


社殿は、神明造で造りは古い。
伊達政宗の創建によるものだから、江戸初期。
ただ、多分改修してると思うんだけど。
社殿も神明造で、鳥居も伊勢鳥居、つまりこの神社は
伊勢神宮の影響をもろに受けて作られたものだっていうことがわかる。
まぁ、実際この神社は景行天皇の御世に日本武尊が東夷を追討する際(西暦110年)に
この地に勧請したのだとされている。
時代とかそういうのはとりあえず置いておくとして
そういう経緯ならば、多賀神社が伊勢神宮の影響を受けたこともうなづけるわけだ。


ここには立派な社務所もあったが、無人だった。
まぁでも、宮司さまのお宅にうかがってご朱印をいただいてきた。


えーと、他にも八坂神社、八幡神社に行ってきた。
無人だったけど、お参りはしてきた。
熊野神社とかには行ってないな。
生出森とか、茂庭のほうにもいろいろありそうだけども…迷う。


その後。中堅氏のもと。
嶺上会と飯食ってきた。
で、秋の読書週間だということを知って
本を調達したのだが、中堅氏が一言
「うちらは読書年間だから変わらないよ」
ごもっとも。


☆本日の衝動買い☆

松下電器産業からパナソニックに変わって
どのような商品戦略の変化があったのかを解説。
松下は、人間らしい優しさがあったような気がするが
パナソニックで、松下幸之助ができるのかね。


これも以前買った神社の入門編だよね。
そろそろ俺としては、中級あたりにステップアップしたいんだが
これ!という本がないのだよな。
Penブックスはアートだし。でも面白かったけど。


旧制高校生の東京敗戦日記 (平凡社新書)

旧制高校生の東京敗戦日記 (平凡社新書)

著者が旧制高校時代につけていた日記を元に当時を振り返る。
主に太平洋戦争で空襲が始まったあたりからだけど
当時の一般国民がどのように戦争を考えていたか
よくわかる本だ。