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山形の神社めぐりその何回目

今日は晴れ、温かい。
とても綺麗に晴れて、気持ちよい。
しかも今日も仙台にいなかったわけで
こっちの天気はついぞわからぬままだった。


さて、今日は取材というか以前来た時に
雨だったし夜だったこともあって
写真が撮れていないのがいくつかあった。
今回は、それを撮影して幕にしようと。
いうのは建前。本音は東村山郡あたりの神社を回収しようと
そういう思惑があったり。
そこで、もがよし氏を再びご足労願い、ガイドとなってもらった。
彼は前日に仙南に行っていくつか回ってきたようだが
名取周辺は俺も大体回ったと思うが
亘理あたりまではまだだな。で、あそこはこーだった、あーだった
と情報交換をすると、仲間って感じがするね。
もう何かつくっちまうか、社団法人東北神社朱印連合、略して東北神朱連とか。
神田朱未さんのことではない。


まぁそれはともかく、もがよし氏のガイドによって
(もがよし氏は方向音痴と自称しているが、神社の観察眼と情報収集力は
大したものだ)
まずは湯殿山神社へ。実は俺は御朱印帳が終わっていたので
2冊目をここで購入したかったんだが、お取り扱いがなく断念。
そこで、希望を次の護国神社へ託すことにした。
山形県護国神社は、出羽国分寺のすぐそばにあって池もあるが
そこで釣りをできるみたいだ。

ガチででかい山形県護国神社
というのも、ここには山形県神社庁もあるからね。
にしてもでかいなぁ。宮城県護国よりもでかいよな…。
言わずとしれた護国神社といえば、靖国系の招魂型神社だ。
だから戊辰戦争から太平洋戦争までで国難に殉じた人々が祭られている。
行った時には、ちょうど七五三の祈祷をやっていた。
肝心の御朱印帳もあって、とてもよきかな。
山形県御朱印帳は、ちょっと縦が短い。でもそのほうが俺の巾着袋に
入りやすいからいいんだけども。


次に、もがよし氏のリクエストで天満神社へ。

昔はここも初詣などで大分賑わった時期もあったそうだ。
確かに結構広く、施設も充実しているようだったが
草ボーボーだし、クモの巣は至るところに張ってるし
社務所無人だしで、まったくもったいない。
こんな立派なところだったら、俺が宮司やりたいよ!


次に、愛宕神社へ。
と思ったが、実はこの愛宕神社。どうやら地図には社務所
載っていただけだったようで、実際行ったらば社務所しかなく
「ここは昔から愛宕神社 参道 入口→」
と、意味深な看板が。で、看板の通り進んでいくと。


川だった。


しかも川の向こうは山だった。
いやまさか、そんなことは…。


ちょっと俺たちの運に陰りが見えてきた時に
もがよし氏は緊急帰宅することになってしまった。
何だか凄く謝っていたけど、そんなことはなくて
結構助かったよ。ただテンションが下がっただけさ。
ただ、時間的に急いでいたとかってわけじゃなかったらしく
次の湯殿山神社、六椚八幡は一緒だった。
てわけで、湯殿山神社だが
これは、本宮ってのは荘内の湯殿山神社にあるんだが
そうそう、112号通っていると四の宮とかあるんだけど
そういうところの元締めってことで新しく持ってきたのが、この湯殿山神社

実はこの歳は丑年縁年といって、湯殿山が丑年に開山したことを記念して
丑年に参拝すると12回参拝したことになるのだそうだ。
それが偶然にも今年なので、御朱印も「丑年縁年」と書いてあった。
ここは新しい神社で、社殿も新しい。
しかも、施設が凄く整っていて会館のような建物もある。
ここでご朱印を待っている間に、ご丁寧にもコーヒーとお菓子をいただいた。
神社によっては、こんなふうに凄く親切にしてくだすったり
迷惑そうにされることもあるが、どちらにせよこれは真心であって
神様とかではなく、人と人との交流という意味ではとても良い縁だと思うのだ。


えーと、それからもがよし氏をお送りするついでに
六椚八幡神社へ。

ここ結構立派だった。こっちで言うと
そうだなぁ、桜岡大神社あたりかな。西公園もあるし。
社務所もきちんとあって、初めて来た人も結構楽しめそう。

この神社の創建は、安擦使兼鎮守将軍の大野東人によるもので
現在の社殿ができたのは、鳥居氏による寛永年間だそうで、江戸中期のもの。
敷地内には、6本の椚があって、樹齢1000年以上なのだとかで
それで六椚八幡というそうだ。八幡は全国にたくさんあるが
そういうので差別化を図るってのは、いいことだと思う。


もがよし氏と別れた俺は、一路上山へ。
そこへはもちろんご朱印だ。
あー、もちろん他にも目的はあるんですけど。
最初に来たのが、栗川稲荷神社。
ここは…凄いところだ。

そう、鳥居がたくさんある。で、くぐっていくわけなんだけど
とても不思議な世界に迷い込んだみたいだ。
伏見稲荷の千本鳥居には及ばないが、それでも凄い数がある。
というかこの神社全体には何か不思議な雰囲気を感じるな。
結界というものがあるならば、こういうことをいうんだろうな。


社殿は、意外と簡素なつくり。
ベニヤ板とかあったりね。
ただし、狛犬ならぬ、狐さまは新しいものではあるが
とても凛々しく、今にも動き出しそうだった。
狐はダキニ天の使神であるが、ダキニ天は仏教の神様やから
ここに神仏習合の影響が見られます。
神社の人に聞いたところ、昔はもっと鳥居があったんだそうで
多い時は数千あったとのこと。何で鳥居なのかはよくわからないようだが
願いごとや、信仰の数だけあるってことだから、多分神社の入口とかにある
寄付者一覧みたいな感じなんだと思うよ。


その後、石崎神社、上山八幡、月岡神社にも行ったけど
ちょっと写真が見当たらないので…ちょっとまってね。


つーわけでちょいと飛ばして
山形市に戻って、鳥海月山両所宮へ。
ここは、誠に珍しい経緯を持つのだが
源頼義らが、月山と鳥海山に戦勝祈願し、その戦いに勝ったので
恩に報いる形で、二つの山を合わせた神社を新しく作ったのが始まり。
もちろん、ここに参ったからといって月山と鳥海山に行ったことにはならん。
あくまで別の神社。

社殿も大きく、造りもまた古いものだと思って
江戸初期よりも古いものでは…いやしかし。
と思っていたが、実は昭和初期のものだったそうだ。

驚くべきは、この随身門。でかい!びっくりした。
この門は江戸中期のもの。つまり木鼻が綺麗な像の彫刻がなされており
組段がかなり複雑。これは江戸中期の様式である。
しかし惜しむべきは、この写真の風景だが、門の前は交差点になっていて
信号が凄く邪魔だし、交通量が多いのでちょっと危ない。
恐らくこの道路、門前町の大路だったんだろうけど、それがそのまま道路に。
それならそのまま遊歩道とかにすりゃいいものを、普通に道路が通っているから
景観が極めて悪い。環境も悪い。もったいないぜー。


この後も山辺天満神社にも行ったけど
そこは古墳だった。