白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

【ノンフィクション】台風に突撃して列島を横断しよう

今日は大雨。強風。かなり冷える。
えーと、台風18号がかなり接近していて
今日にも東北を縦断しようというまさにその時
俺はアホなプランを実行に移そうとしていたのだった。


今日は取材。そう、こんな日に取材で酒田まで。
何度日を改めようと思ったことか。
でも、相手のいることだから、ドタキャンとか
そういうのはよくない。俺が酷い目に遭えばそれで済むのさ。
というわけで、出かけるも雨が本当に酷い。滝みたいだった。
普段雨が強いっていっても、これと比べたら小雨だね。
傘が役に立たないとかっていうレベルじゃなく、もはや傘が邪魔。
ていうか外に出ようとは考えない。そんな天気だ。
俺が朝出る時、まだ風はそれほど強くはなかったが
実は悲劇はすでにこの時、始まりを迎えていたのだった…。


ルートとしてはこうだ。
まず286号で笹谷まで向かう。そして笹谷から高速に乗り西川へ
西川で降りて、月山を超え、そのまま酒田へ至る。
しかし、この台風だ。広瀬川は大幅に増水し、道路はかなり渋滞していた。
宮沢橋周辺の道路は冠水していた場所もあったし、道にでっかい枝が落ちていた。
幸いにもそれは中心部に至る道路だけで、286号はそれほど混んでなかったが
雨が凄すぎて、視界が極めて悪かった。
予定通り笹谷から東北道と山形道で西川まで。
で、西川からずーーーーーーっと下道。
俺は運転が上手いほうでもなければ、好きでもない。面倒くさがりなだけだ。
だから、こういうロングドライブは恐いし、退屈だしでまったく嫌だ。
そんなわけで、酒田90キロとかいう標識を見るたびにうんざりしていた。
何人かで行くなら気もまぎれるが、一人で何時間も車内ってのはなぁ。
しかし、山形のほうは雨は若干強いってだけで風もなく
とても静かなものだった。到着時はな。


なんだかんだで朝日を過ぎ、鶴岡を通り抜け、酒田までやってきた。
で、時間までもうちょっとあったので、もがよし氏に教えられていた
八雲神社へ。

雨だったけど構わず撮影。
この神社は…縁起みたいなのはなかったな。よくわからない。
ただ、木瓜紋を使っているあたり天童織田氏と関係が…
ないな。堀田氏も木瓜紋使ってるし。


その後、取材が続き、夕方になる頃終了。
で、酒田に来る途中にコンビニで買った地図と
にらめっこしながら日和山へやってきた。
ここは公園になっていて、帆船だのモニュメントが展示してある。

この帆船、実際に動くのかね。
一応池みたいなところに係留してあったけど。



で、これが日枝神社。でっかい山門があって
それを撮影しようとしたら、何と雨の線が写ってしまったという奇跡写真。
雨の線が写ることはよくあるけど、ここまではっきり写ると感動するね。
逆に言うと、ここまで雨が強かったってわけさ。



これが日本海(愛称・平和の海、トンヘ(笑)、韃靼海etc)
台風が日本列島縦断してる時に俺は日本列島横断!


神社にお参りもしたし、御朱印ももらったので帰ろうかなと思っていたが
この時、風がやたら強くなってきて、傘が飛ばされそうになったり
車が揺れたりして、危険な予感。
この後も取材関係で撮影とかして、もたもたしているから
その後困ったことになったわけだな。
困ったことというのは。
ついに夜を迎えたことだ。
大雨、強風、夜。
このセットでどうなるか。
そうさ、視界ほぼゼロの世界がやってきたのさ。
路面は反射して中央線が見えず、雨で視界が悪く
俺は全身全霊で運転に集中せざるを得なかった。
とはいっても、見えないわけだから前の車にぴったりくっついていくほかない。
途中、酒田市内の交差点で男性が倒れていて、何人かの人が介抱したり
通報したりしていたが、男性はぐったりとしていた。あの後どうなっただろうか。
そういう出来事もあって、帰り道がとても不安だった。
標識もよく見えず、とりあえず自分の勘と前の車を頼みに
曲がったり、まっすぐ行ったりしたが、運良くすべて当たりだった。
しかしこれがあと何時間も続くかと思うと、誠に辛く、何度泊まろうと考えたことか。
それでも帰仙の道を急がせたのは、俺の前を行く山形ナンバーのトラック。
あいつにぴったりくっついていけば、無事山形まで連れていってくれるはずだ…!
しかも、トラック運転手はこのへん何度も通っているはずで
道も覚えてるだろうし、車もきっく号より少し大きめなので
対向車とぶつかる心配もないだろうと、そういう計算からだった。
その計算はとりあえず正解だった。こうやって日記を書いているのはそういうわけだ。
とにかく車内は寒くて、孤独だった。
だから武装神姫 RADIO RONDOをリピートで聞きまくっていた。
今回はキタエリの声芸にも助けられた。
月山あたりは雨はそれほど強くなかったにしても霧が酷く
前方の視界はほぼなかった。山形ナンバーにくっついて大体60キロを保っていたんだが
にしても登坂車線に入るとガンガン追い抜かれるってのは
地元の人は道を覚えているからできる芸当だろう。
まったく生きた心地はしなかったが、山形ナンバーのおかげで西川まで戻って
くることができた。このへんまで来るとなぜか雨はぴったりと止んでいて
路面も濡れていなかったし、霧もなかった。つまり普通の夜だった。
それでも緊張しきった俺の手は月山の気温10℃の寒さでかじかんでいたが
暖房をつける余裕などなかったし
肩はかなり張っていた。「大げさなやつめ」と笑う方もおられるだろうが
それは運転がうまいのだと思う。仕事でなければこんなことはしない。
とにかく、山形道はほとんど車が通ってなかったから幾分か気が楽だった。
で、笹谷で降りて、行きと同じルートを辿るのだが
遅い車がいて、詰まっていた。トラックならよくあるが
普通の乗用車だった。ははーんこれは…と思った。
さっきの俺みたいな人がいるってことか。確かに俺なら286号通り慣れているから
例えばこのへんに大きなカーブがあるとか、しばらくまっすぐとかわかるので
スピードは出せる。しかし県外の方から見ればそれは無理な相談だ。
それで、ちょっと苦笑しながら、みんなで連なって仙台への道をゆっくり進んでいった。




帰宅すると、生還の喜びとともに
疲れがドッと出て、チーンとなっていた。
そのまま本当に泥のように眠った。
もう行きたくない。