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藤原実方中将詣で

今日は晴れ。やや暑い。
キレイに晴れたと言いたいところだが
時々、ポツポツとにわか雨が降ってきて
ちょっとツンツンな天気。よし、デレを見せるんだ。


さて、今日は取材でちょいと遠くへ。
朝早いかななんて思ったけど、逆に早すぎたくらいだ。
だから終わった頃には、このまま帰ってしまうのが惜しくて
観光で回ることにした。
で、前から気になっていたスポットがあって、そこいらを重点的に
めぐることにしたわけだ。そこは名取市にある実方中将の墓という。
実方中将とは、藤原実方(?-999)のことで左中将にもなったことから実方中将といわれる。
姓を見てわかるとおり、藤原氏北家の血統で、しかも中古三十六歌仙の一人。
じゃあ何でこんな有名人の墓が名取市にあるのかというと
彼は陸奥守に任じられて、はるばるこっちまで赴任してきたから。
陸奥国は奈良・平安時代には蝦夷との攻防戦の最前線であったから
国府たる多賀城はかなり大規模で重要な場所だった。
でも、それも一段落して10世紀にもなると、ほとんど僻地。
遺物も遺構も10世紀前半までは相当数あるが、それ以降はまぁ少ない。
その後、陸奥守はいたものの、政治の実権は平泉に移り
再び多賀城が日の目の見るには、北畠顕家による奥州経営まで待つことになる。
話を戻して、名取に墓がある理由ってのは、実方が当然当地で亡くなったからだが
そのへんは追々説明していきたい。
墓は、4号バイパスから名取駅方面に入り、山に向かって走ること15分ほどで着く。
でかい看板が目に入るので、すぐわかる。

駐車場もあって、大体5台ほど駐車できるし
細かい看板もあるので、迷うことはないと思う。
で、駐車場の近くにあるのが鞍掛け岩というもの。
実方の馬の背に乗せる鞍をここにかけたものらしい。
どう見てもただの岩。

山の近くということもあって、空気が澄んでいるし
脇に小川が流れているので、とても心地よい。
その小川に、何ともモダンなお橋がかかっている。
「実方橋」というのだが、実方の文化人的な雅さを表現したものだと思う。


橋を渡ると、芭蕉の碑がある。
まぁ芭蕉は色んなところに足跡を残しているものだと感心するが
ここに来たのはちゃんと理由があって、この実方中将の墓には
西行がやってきていて、その西行の後を辿ってきたのが芭蕉なのだ。
ここで詠んだとされるのが


笠島はいづこ皐月のぬかり道


実は芭蕉、実方中将の墓にはたどりつけなかった。
悪路と日没に阻まれ、途中で断念したのだとされている。


そこから墓へ歩いていくが
竹と杉が脇から伸びていて、まるでトンネルのようだ。


墓にたどり着く。
しかし、その墓というのは、土饅頭である。
柵で囲ってあるが、墓石とかそういうのはなくて土饅頭。
生々しいな…
てことは、ここ発掘すると、或いは…?


実方が亡くなったのは、『源平盛衰記』に記述があって
下馬せずに道祖神の前を通り過ぎたところ
馬が急に暴れだして、落馬してしまったために死亡したのだという。
その道祖神社は、実方中将の墓を岩沼方面に5分ほど走ると着く。

奇遇なことに、芭蕉もまた『おくのほそ道』において
道祖神に導かれて云々」と述べている。
しかしこの道祖神社、どう見ても鳥居がなければお寺だ。
狛犬が新しいし。
お賽銭は45円入れておいたよ。
つまり、始終ご縁(45円)というわけ。
先日買った本に「お賽銭を数えるのが大変です」
と神主さんが語っているのを見たが
じゃあお札入れるってのは、何か違う気がする。
ちなみにお賽銭は税金がかからない。


実方中将の足跡をちょっとばかしたどってみた今回。
気になっているスポットは大なり小なり発見がある。
まして、古代・中世おいておや。