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ヒロシマに学ぶ心理

昭和20年(1945)の今日は、広島にリトルボーイが投下された日だ。
これについて、アメリカでは未だに原爆投下は正しかったという意見が
7割を占めている。理由は異口同音に「落とさなければもっと死んでいた」
これはわかる気がする。というのは、B29の搭乗員もそうだが
世論や前線では、このまま行けばやはり本土決戦だという雰囲気だったろう。
何しろ、沖縄で何十万も戦ってだ。
日本人は絶対に屈服しない。屈服するより死を選ぶというのは
もはやアメリカ人には知れ渡っていたから、恐怖と不安の中で
覚悟も決めていたろう。何しろ、当時の試算で本土決戦を行った場合
アメリカ軍だけでも10万人は戦死すると見られていたからだ。
簡単に計算すれば、沖縄戦では1万人が戦死したから、本土決戦では10倍は
堅いだろうと。もちろん日本人は1000万人の戦死が見込まれていた。
いや、具体的な数字は忘れたが、アメリカのほうで試算をしている。
とにかく、10万人も死ぬのかよ!俺の親友、兄弟…誰か死ぬだろうな…。
その前に自分も死ぬかも…。
そこへ、原爆ができた。これを落とせば、戦争が終わるかもしれない!
残虐な兵器だけど、これを落とせば…ゴクリ。


で。今に至る。
その時の心理状態で、恐らく冷静な判断というのがなかなかできにくかった。
それに、彼らには日本人というものを理解できていなかったはずだ。
だから、「原爆を落とさなくても戦争は終わってた」これは一番の正論。
しかし「仕方なかった」というのもまた、理解できる。
では、誰が悪いのか。
日本では、落とされるまで原爆の情報は断片的にしか伝わっていなかった。
まさか使うとも思ってなかっただろう。というかその時日本では既に
ポツダム宣言受諾で固まっていて、情報もラジオ放送か中立国の公館だけ。
アメリカは…どうだ?
アメリカでは、もはや日本が戦争を継続できるとは思っていなかった。
前述の試算はあくまで本土決戦であって、日本にはまともな主力艦は
一隻たりとも実戦には使えないことを知っていた。
もはや周知のことだが、アメリカが終戦後、真っ先に送り込んだのは
戦略爆撃調査団だった。彼らはただちに広島に行き
被害の状況を調べて回った。つまり、広島を実験場にしたのは明白だ。
つまり、一番の戦犯とは、アメリカの政府・軍首脳だった。
しかし、日本ではSF条約でアメリカを裁くことなど不可能だ。
で、当時の首脳も一通り死んでいるから、今のアメリカに責任者がいない。
こういうことで、なぜか日本政府の責任を問う声が出てくるわけだ。


何とも嘆かわしい。もう64年前のことだ。
忘れることはしちゃいけないが、誰かを恨むこともしちゃいけない。


まぁ、とりあえず。ハーグ陸戦協定だけは守れ、な!