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カルタゴ・フェニキア人とローマ人

前述したように、カルタゴとは、誠に商業が盛んな都市だったということだが
まぁ、それはカルタゴに限ったことではなくて、フェニキア人がそういう
民族性を持っていたらしい。
というのも、実はカルタゴフェニキア人植民市の一つに過ぎなかった。
もともと、フェニキア人は商売がうまくて、海運を用いた地中海貿易を
一手に引き受けていたのさ。
で、今のレバノンにあった、ティルスの植民市の一つとして
そして地中海西部の貿易を任されたってわけだ。
特にこのカルタゴの位置は、北アフリカで、ナイル川河口にそう遠くない。
だから、エジプトを始めアフリカの諸都市と
通商を独占してしまい、莫大な富を得た。
さらに、イベリア半島にもノヴァ・カルタゴを建設し
ジブラルタル海峡を押さえるなど、もはや勢力の拡大は破竹の勢いだった。
一方、親都市のティルスはどうなったか。
紀元前3世紀に、アレクサンドロス大王によって滅亡の憂き目に遭っていたとさ。
そんなわけで、地中海東部がアレクサンドロス旋風によって産業廃棄物が
大量投棄されていた頃、共和政ローマは、イタリア半島の統一に成功していた。
で、目を付けたのはすぐ南西にあるシチリア島だ。
ここにもシュラクサイ王国ってのがあったらしいんだけど
小さい島なのに、紛争が堪えなかった。
ここは既にカルタゴの領土みたいなもんだから、たびたび軍を送ったんだが
あ?ざけんな、とばかりにローマは軍を発してシチリアを巡って衝突した。
これが第一次ポエニ戦争だ。
ここで、地中海の雄であったはずのカルタゴが負けた。
カルタゴガレー船は、三段か二段になっておって
船首の水面すれすれのところが尖っている。
これを相手の船に衝突させて、沈めるという方法。
ローマはこれに対し最初は劣勢だったものの、段々と適応していった。
で、画期的な戦法を割り出す。
カルタゴの船に横付けして、兵士を相手船に乗り込ませようというやり方だ。
カルタゴの船には兵士なんかほとんど乗ってなかったんで
これが当たる。陸戦では、ローマはカルタゴよりは強い。
ローマの場合、徴兵制で、軍制もきちんと整備されていたため
強い兵士を育成することができたが
カルタゴの場合、金にあかせて傭兵が主な戦力だった。
だから、まともにぶつかった場合、どう考えてもローマが勝つ。
陸戦でも負け、海戦でも負けたカルタゴシチリア島のローマ譲渡で
第一次ポエニ戦争は終わった。
あとは長くなるからパス。


で、カルタゴの装身具とか、工芸品なんか見るとわかるのだが
宗教がバラバラ。魔除けにゴルゴンのペンダント持っていたり
ヴィーナスを彫っていたり。
でも実は、カルタゴではバアル・ハモンとタニトが主神として崇敬されていた。
バアル・ハモンは元来農業神で、アフリカの多様的な風土によく合ったという。
ギリシャのクロノスなんかと同じ立場。
タニトは、母神であると同時に、死神でもあり生と死を司った。
タニトの印というのが、覚えたんだが骨人間がブーンやってるとこ。