白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

締め切り後の静けさ…

今日はくもり。かなり涼しい。
何でも、今日は4月の気温だそうだ。こりゃ寒いわ。
しかし、俺はそーでもない。なぜならスーツだから。
っていうかジャケット派の俺は暑い時は脱ぐし
寒い時は着てればいいわけだから便利だ。
しかも、それなりにピシッと見えるから
多少フォーマルにも対応できる。
そういう格好してるもんだから、年相応に見られないんだよな。
こまけぇこたぁいいんだよ!!


今日だったか、明日が締め切りだったかな…。
とにかく、俺は締め切り前にきちっと原稿も調整もすべておわしたから
まったく問題はないはずだ。
だから、編集さんも「菊地さんには、大きいクレームが来てないですよ」
と言うてくださる。というのも、間違いとかあったら
俺はすぐ謝るからね。相手が指摘するより前に。
なら最初から間違えるなって話ですよね…すいません。気をつけてはいるんですが…。
とにかく、謝るというのは大事なこと。
企業の広報なんかは「絶対謝るな!」というお達しが出てるとこもあるが
俺は謝るべきだと思う。例えクレーマーだとしてもね。
わざわざ電話かけてくるほど心配させてすいません。という意味で。
本題とは別にね、「おいどうしてくれる!」
「この件につきましては…これこれこういうわけです。
 わざわざお電話させてしまい申し訳ございません」と、こうやれば
若干お客さんも、「あぁ、気を使わせてるな」と思うんじゃないかな。
それで相手もこれ以上怒ってもしょうがないって思うはずだ。
大体、日本の「すいません」には2つの意味があるだろ?
1つは謝罪の意味で使う言葉。
もう1つはたとえば、落し物を拾ってもらった時とか。
これはお礼の意味だけど、何で謝るの?ってよく話に上るが
ルース・ベネディクトによる大著『菊と刀』では「すいません」について
「この人は今こうして恩を提供してくれるが、私は今までこの人に会ったことがない。
 私はこの人に恩を提供する機会を持たなかった。こんなことをしてもらって
 うしろめたい気がするが謝ればいくらか気が済む」と述べている。
こんな長い意味が込められていたわけだ。
日本語はなんとも深いものだ。そして何とアーティスティックなのだろうか。