白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日は雨、やや暑い。
暑いっていうか蒸すんだよね、なまら蒸すべさ。
さて、中部地方。特に愛知県ではかなり大雨で甚大な被害だそうだ。
ところで、霖雨という言葉をご存知だろうか。
まさに「おおあめ」と読むのだが、この場合、3日間以上大雨が降った
場合の字だそうだ。
江戸時代の歴史書なんかを紐解くと、相当こういう記述が出てくる。
例えば、仙台藩では天明5年(1785)霖雨により55万2000石の損失を出している。
55万石といったら、仙台藩の領地は62万石だから、やばいじゃん!という
指摘は当然ありそうだが、どこの藩でもこういう事態に備えて蔵米を用意している。
蔵米はつまり備蓄米ですね。
それに、仙台藩はそれまで米の専売制で大儲けしていて、そのプールもあるし
表高は62万石だが、実高は100万石を超えていたという説もある。
とはいえ、安永・天明期は災害が多くて、伊達家も倹約令を出したり
参勤交代を免除してもらったり、大変苦労していたようだ。
しかしどこにも篤志家というのはいるもんで
岩谷堂の伊達氏当主・伊達村将は天明の飢饉に際して蔵を開き
庶民に米を施したんだそうだ。
橋本延賢も救民に努力したほか、遠藤氏の領内からも百姓一揆を出さなかった。
さらに肝煎にも、かなり救民に努力したものが多かった。
そんなわけで、苦しい時代ながらも、救民する領主はいたわけだ。


今日は取材。ちょうど雨が降ってなくて、降る気配もなかったから
自転車で出かけてしもうた。
しかも、今日の取材は超長丁場で、ずっと4時間くらい座りっぱなし。
あ、もちろん写真取ったりするけどね。
で、俺には珍しいことなんだが、つい居眠りをしてしまった。
しかし、取材ノートには、居眠りしながらもメモを取ろうという
気概だけは残っていたようで、何だかミミズがのたくったような
記号が書かれていた。
帰り道も雨は降らず、助かった。
激しい雷雨が降りだしたのは夜半だった。それで、俺は
何とか雷が落ちる瞬間をカメラに収められないもんかと
努力してみたが、さすがに無理だった。

ピカッと光った瞬間の図。この瞬間だけは真昼のような感じだったね。
とにかく、ザーザー降って、今は止んでいるが
しかしまぁ、明日は晴れるのかな?