白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日はくもり。やや冷える。
今日になってから、まぁ体調は持ち直したんだが
どうにも体力が戻らない。すぐ疲れるし、動きが鈍くて
なんだかなぁって感じ。それに吐き気もある上に、便秘なもんで。
便秘のくせして、おなかはピーグルグル鳴り続けているわけだから
一体どっちなんだよと。
それで、枕元にあった本はすべて読んでしまったし
布団もちょっと汗ばんできたので、明日晴れたら床払いをしないとな。


さて、そんなわけで病の床にある間色々なことを考えた。
あれ、締め切り過ぎてね?とか、そういや今日誰とも話してねえwとか。
しかし、一番考えていたことはこういうことだ。
今、俺という存在がいるとする。
俺という存在をとり巻く世界は、常に流れている。
では、俺の世界すべてともいえるこの宇宙とは何だろう。
例えば仏教における宇宙とは、ストゥーパ曼荼羅に表すことができるように
それは実に仏教の教えを内面世界から表したものなのだ。
道教のそれは、客家に見ることができるが、あの円筒形の
居住形態こそが、宇宙なのだともいえる。というのは、あそこはどちらを見ても人がいる。
そしてそこでは生と死が展開されているのであって
それが常に繰り返されていることが宇宙なのだと。
では、俺にとっての宇宙とは何だろう。
と考えてみると、やはり視線の先には山積みにされた本。
知識こそが俺の宇宙なのかもしれないな。