白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日は雨。やや暑い。
泉区は遠いなぁ。いや冗談です。
ただあそこらは混むんですよね。
それにボクほら、そんなに運転好きやないしね。
もっと乗って運転うまくなりたいね。


最近よく思うことがあるんですが
メディアリテラシーなんかを考えてみますと
穏健派というのが極めてスマートに見える。
というのは、強硬派というのは得てして感情的になりやすくて
暴力的であるからです。そんな意味で客観的且つ公平中立論というのは
実に合理的であるわけです。
ただし、穏健派というのは強硬派から怨まれやすいことも言えます。
また、日和見主義でどっちつかずだと思われやすいがちです。
例えば、松岡農水相自殺の件で、中堅氏は「死者に鞭打つようなことはしたくない」
と仰っています。確かに日本人は死者を虐げるようなことはしない。
また死後栄誉というのも日本固有の考え方で、明治時代に東京帝大教授だったエルウィン・ベルツ
日露戦争戦死者の死後二階級特進の栄誉などをドイツ本国に紹介し
ドイツもこの制度を見習うべき旨を論じています。
このように死者に鞭を打つことはしないという考え方は極めて日本的でありますが
しかしながら、強硬派の考え方では、実に甘いと思うわけです。
勿論これで政治とカネの問題が闇に葬られてはいけないが
立件できるようなら、被疑者死亡で書類送検しろという、それくらい求めたいわけです。
もちろんそうした方がこの事件への真相に近づくことができるかもしれない。
ただ穏健派は、そこまでする必要はないのでは、という。
松岡氏の立場は察するに余りある。もちろん事件は究明する必要はあるが
死んで罪を謝したのであれば、これ以上追及できようか、と。
そこで両者の違いは顕著なものとなっていくわけです。
一見穏健派は甘すぎて、官僚みたいなイメージを受けますが
穏健派は更に合理的です。
例えば、イラクにおける穏健派といえば世俗派ですが
アラウィ前首相は世俗派(=穏健派)としてイラクをまとめていました。
そこで、強硬派が首相ならいかがでしょうか。一方の宗派の片棒を担いで
内戦は深刻さを増していくのではないでしょうか。
スンニ派シーア派両派の調整役として、世俗派の出番というわけなのです。
このように穏健派というのは、ある物事について距離を空けているが故に
より全体を見通すことができ、それによって両者の調整役になることができるのです。