白雉日報社公式ブログ

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今日の大河は何故か勉強になった。
内通の疑いがある家臣をどうするべきか。君主の立場としては
非常に苦慮するな。
讒言であれば、貴重な家臣を失ったことになるし
本当であれば自分が危うい。従って、誤りであればどちらでも損である。
毛利元就は、一時期幼君の後見になった時
簒奪を恐れていた重臣連中によって起請文を書かされたそうだ。
もっとも、その時代には起請文なんぞ守るやつが珍しいんだが。
一方で、功利的な考えは、西洋には珍しくない。
西洋では、権力がいわば2分されていたからな。
ローマ・カトリックと国君とで。
だから、カトリックの力が強くなると、王権神授説なんてものが流行りだした。
王の位は神から貰ったものである、という主張だ。
こういう考えは皇帝教皇主義*1や、首長法*2まで、中世から近世まで多く見られた。


何かそういう意味で、大河ドラマは非常に考えさせられる。
「人は城、人は石垣…」と言っていた武田信玄は、実際でかい城を作らなかった。
本拠の武田氏館だって城郭といったものでは全然ない。
信玄もやはり「本拠まで攻めてこられたら終わりだろ、常識的に考えて…」
とか思ってたんだろう。

*1:ビザンツ帝国にて行われた政治改革で、皇帝は教会の実質的な主導者となる考え方。教会の人事や教義の指導も可能だったことを考えると、当時のビザンツ帝国が絶大な権力を持っていたといえる。

*2:英国王ヘンリー8世による法律で、英国国王は英国国教会の首長も同時に兼ねるという法律