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貴族院で初の議長選挙へ 600年の歴史で初
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立憲君主制でありながらも
絶対君主制の時代も変わらなかったこの制度。
絶対君主制以前のその前も変わらなかったこの制度。
600年という時の流れを考えてみて
英国の貴族制度で600年前というと、何があったか。
(バラ戦争か…)
などと考えてみて、調べてみるとただ単に15世紀にイングランド議会が
上院(貴族院)と下院(庶民院)に分かれただけでした。
つまり議会が分かれてから一回も議長選挙が行われていなかったということ。
しかも英国の議会制は進んでいるかと思えば
実はかなりの矛盾を孕んでいます。
例えば貴族院の議長ですが、これは大法官が兼務することが主流だったそうです。
大法官というのは、日本でいう最高裁長官。
ところが1つ疑問があるのは、貴族院は日本の貴族院と違って
純粋な貴族しかなれないので、法の番人として機能できるのかということ。
そしてもう1つ。大法官は序列が首相より上です。
1位が英国国教会のトップであるカンタベリ大主教で、その次が大法官。
ところが首相はその次です。しかしながら大法官は首相に任命されるのです。
序列は首相よりも上であるのに、任命される立場にあるのは矛盾しています。
では日本ではどうかというと、やはり首相が1番上なのです。
その次に衆参両院議長が来て、その次に閣僚、最高裁長官が来ます。
最高裁長官は多少別格で、皇族会議にも参加します。
帝国議会では、首相の次に陸海軍大将が来ますし、軍令部・参謀本部両総長
も高位でしたので、軍部は暴走することになって当然と思われますが
将官親補職といって、天皇が御自ら任命することになっていましたので
序列が上に行くのは自然な流れなのです。
閑話休題
大法官はやはりコモン・ローの知識がなければいけないというわけで
トマス・モア、フランシス・ベーコンといった法学者、哲学者を
大法官に任じたこともあったようです。