白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日はくもり、やや暖かい。
私は土曜の夜は朝まで寝ません。多分。
てわけで、今日は昼まで寝てました。
で、今日はhermit氏と会談に及ぶ。
何だか食ってばかりでしたね。
まぁ、いい充電にはなりましたが。
そんな中、某喫茶店に入った時のこと。

H「○○ください」
店員「それはもう終わっちゃったんです・・・」
H「じゃあ●●ください」
店員「それは品切れで・・・」
私「じゃあ何があるんですかw」

というコントのようなやり取りもありました。


今日は色々な話をしたけれども
古代中華人の死後世界観については大いに考えさせられました。
華人は死後の世界をどう思っていたのか。
例えば、斉の景公は瘧が出て、いつまでも治らないのを
祟りか何かのせいだと考えて、臣にどうすれば良いか問うた。
すると、祝官と史官を殺して、上帝に直訴させるべきだという
意見が出た。祝官も史官も医者というわけではなくて
供物や生贄などを神に捧げて、祟りを鎮め、病気の平癒を
祈る人のことです。
それから、昔の君主は山に登って、国を望むということをしました。
国を望むとは、その国を平定したいという願望の表れであり
その力を天に近い山から授けてもらう、ということをしたのです。
また、醢という刑罰があります。これは死刑には違いないのですが
死体を切り刻んで塩辛にするもの。
通常人は死ねば埋葬されます。しかしながら地は復活の力を持っている
といわれており、犯罪者の魂が地に帰ってしまえば
地の力を得て、復活してしまうことを恐れたのです。
そう考えていけば、天にも地にも人ではない何らかの
存在を古代の人々は考えていたことになります。
国や民族によっても、敬う対象は違った。
殷は太陽こそが国を守護してくれるのであり
雨を極端に嫌いました。
従って、牧野の戦いにおいても雨が降ったために
負けたという言い方をされることがあります。
いろいろなものに神が宿るとされた神道に通じるものがあります。