白雉日報社公式ブログ

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1941年(昭和16年) の今日、所謂「ハル・ノート」が提示された日です。
コーデル・ハル国務長官より野村駐米大使に手渡されました。
日独伊三国同盟破棄、満州撤退、南部仏印撤退などを要求。
これにより日米和平交渉が決裂しました。
そして今日、隠密裏に択捉島に集結していた連合艦隊
ハワイに向け出航したのであります。
とはいえ、まだ和平交渉に望みを託し、和平交渉が成った時には
即引き返すことになっていました。
草加龍之介参謀長は「出かかった小便を止めることはできませんよ」
と言ったのですが、それに対して山本長官は激怒した逸話もあるほどです。
29日には、天皇は重臣(元総理)を召集し意見を聞きました。
集まったのは若槻礼次郎岡田啓介広田弘毅林銑十郎近衛文麿
平沼騏一郎、阿部信行の8名。
比較的賛成が2名、反対が5人、1人が中立でした。
米内光政海相は「俗語を用いて恐れ入りますが、ジリ貧を避けてドカ貧に
ならぬよう、十分ご注意を」と促がすに留まったのでした。