白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

さて、先日だが友人が漢詩を習っていて、その際、俺に故実を教えて
もらっていて、本当に良かったとメールが来た。
人に物を教えて良かったと思える時がそんな場合である。
何を教えたのかというと、何でもない、高校の時にやった「晏子之御」である。

春秋戦国時代、中国に斉という国があった。現在の山東半島辺りである。
斉には晏嬰という名宰相がいた。晏嬰の尊称は「晏子」である。
さて、そんな晏子の馬車の御者がいたのだが、その御者は晏子の御者であることを
喜んでいた*1
御者の妻は、こっそり晏子の馬車が家から出るところを見ていた。
夫である御者は、自分にしか宰相の馬車は動かせないとばかりに
得意げで、意気揚々としていた。それを見た妻は失望してしまった。
ある時、その御者の妻が「実家に帰らせていただきます」と言った。驚いた御者は
なぜか問うた。妻が言うには「馬車が通るのを見ましたが、晏子は背丈が6尺(約135cm)しか
ないのに、この国のみならず、他国にも名の知れた賢者です。しかし、彼はそれでも
へりくだっているように見えました。けれども貴方は8尺(2m近く)も身長がありながら喜び
勇んで、今の仕事に満足しているように見えました。だから私は実家に帰るのです」
そこで、御者は次の日からできるだけ自分を抑えるようにした。それに気付いた
晏子はどうして今日は様子が違うのか尋ねた。御者は隠さず話し、それでこうして
自分を抑えているのです、と答えた。
その実直さを誉めた晏子は、その御者を推薦して大夫(貴族)にしてやった*2

*1:さて、馬車を扱う人には「僕(馬車の整備係」「御(運転手)」「圉(馬の飼育係)」があり、御者は馬術に秀でた者でなければなることができないばかりか、主君に信頼されていないと任せられることはできないのであるから、この御者は晏子に信頼されている家臣の1人であるといえる

*2:一御者が大夫になることなんぞできるんか?と突っ込みたくなるところですが、君主があまりにも褒美をやりすぎたため「職計これに従う無し」という記述もあり、晏子が推薦して大夫に取り立てることなど珍しいことではなかったと思われる