白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日は、庄内まで行ってきた。この間ゼミで出た城輪柵を見学
するためだ。予報では雨ということだったが、朝は曇りだったので
行くことに。で、なぜか俺が運転することになっていた。
メンバーは3人。俺とみっちとY子である。
みっちはちょうど、城輪柵の近くにある八森遺跡をテーマとした
ので、そういった意味でも、まずは現場に行くのが大事であり
これぞ考古学の「歩けオロジー」の精神と合致する。
さて、7時半に出発した我々官衙3人組(?)は、順調に月山を
抜け、問題となっている112号の月山道を物ともせずに3時間ばかり
かけて八幡町の城輪柵にたどり着いた。
しかし大雨・・・だったが、それにもひるまず、俺は興奮しながら
突っ込んでいった。Y子は整備の面からいろんな意見を出していたし
みっちは遺構について冷静な分析をしていた。
まず、Y子は多賀城を引き合いに出して復元の管理状況を問題に
していたし、独立して遺跡だけを復元しても人が入らないと
的確に判断していた。まぁ恐らく・・・偶然通りかかるか、マニアック
な人じゃないと行かないだろう・・・。
その後、新田目城へ。これは館跡で、掘跡や土塁が確認できた。
今は神社となっているが、館跡である。規模としては若林城より
二周り小さいくらいだろう。
こういうところの調査は酒田市がやっているようだ。所在地は
八幡町なんだが・・・。
その後、八森遺跡へ。八森は何と、球場横にあった・・・・。
しかも大雨なのに練習してる人がイパーイいるし。
何かこのあたり全部が自然公園らしく、頂上付近には食堂もあるし
宿泊所もある。なんと設備の行き届いた場所だろうか。
Y子も感心したらしく、こういうとこなら人も入るし、結果として
遺跡の整備も継続してできる・・・などといっていた。まったく同感だ。
雨も降っているし、帰り道も考慮して早々に帰ることにした。
すると・・・道路が冠水している・・・_| ̄|○
こりゃ、城輪柵の存続も確かにヤバかったのはわかる・・・。
で、帰りに道の駅でなんか妙なお菓子など買った。俺は俺で交通情報
とにらめっこだった。
帰りは話が盛り上がって、気付いたら山形に付いてた。
うちの学科では目下『TROY』を見たい人が多数を占める。
そのうち皆で見に行くことになりはせんだろうか・・・。
っていうか、あまり盛り上がりすぎたものだから、燃料切れにも
気付かず、燃料計が最下降を示したころに気付いて慌てて給油。
いやぁ、楽しかったけど、疲れたなぁ。庄内ナンバーだらけだったし。