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湯殿山のご神体〜出羽三山を中心として〜

今日は、神崇連で今年度初の遠征を挙行した。
つまり、事業計画の中では以下のものになる。
【荘内地方】湯殿山のご神体〜出羽三山を中心として〜
これだね、これ。
遠征メンバーは、菊地代表世話人、中堅世話人、なかたか最高顧問。
朝8時に出発して、湯殿山を目指した。
最初に湯殿山に行き、次に羽黒山、そして湯野浜である。


最初は湯殿山神社湯殿山は山形自動車湯殿山ICで降りて
有料道路をひた走ると着く。
実際行ってみると、霧が立ち込めていた。

巨大な鳥居。ただ、両部鳥居なのだが
両部鳥居自体は、京都御所にあるものが最も古くて
厳島神社などにあることでも知られる珍しい鳥居である。
この神社は、出羽三山の一つに数えられていて
推古天皇元年(593)に、崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が、奈良の都から
はるばる日本海を北上してきた時に
三本足の霊烏の導きにより羽黒山を御開山、次いで月山と湯殿山を開かれたという。

駐車場に車を停めて、バスでさらに上へ上へ。
で、本宮ではまず、お祓いを受けないと中には入れない。
霧も立ち込めていたこともあり、あちこちで祈祷をやっていたということも
あろうが、とても不思議な空間で、まるであの世に来てしまったかのような錯覚すら覚える。
この神社には、まず社殿がない。ご神体がそのままある。
つまりこれは、初期神道の産土型信仰を表している。
どういうことかというと、古代日本においては、自然や動物を信仰し
自然に畏敬の念を持っていた、いわゆるアニミズムな社会だった。
今のように、社殿が建築され始めたのは仏教の影響であって
この湯殿山山岳信仰は、極めて初期神道に近い形での山岳信仰
今もこうして息づいていることを示している。
ちなみに、ここのご祭神は大山祇命大己貴命少彦名命となっているが
その他あらゆる神を信仰していることからも、神社神道に縛られない
純粋な山岳信仰を見ることができる。
実は、肝心な部分は撮影禁止だったもんで、しょうがないので
神牛を撮影。見た目は撫で牛みたいだが、なで牛は天神信仰に深くかかわっていて
そのなで牛とは違うようで、恐らくはこのへんで生活にかかわる動物ということで
牛を神牛としたのであろう。

ここでご朱印がいただけます。


次に向かったのは羽黒山
湯殿山からは、鶴岡方面に向かい、迂回する形で
羽黒に向かえば、湯殿山からは1時間程度で着く。

学生時代には階段を上ったものだが
車で行けば、すぐ山頂に着いてしまう。
この神社は、元は「出羽神社」と呼ばれておって
祭神は伊氐波神と稲倉魂命で、前者は出羽国の国魂であって
後者は、稲荷神社などでよくお目にする神様だが
農業の神様である。荘内地方は米どころで、保食神とともに
厚い崇敬を集めている神様である。
創建は推古天皇元年(593)で、蜂子皇子による創建。
で、この境内の中に蜂子皇子の墳墓があるのだが
そこは何と宮内庁の管理下にある。

墳墓と見られる場所には囲いがしてあって
そこには菊の御紋が・・・。


とても大きい社殿。これほどの物は見たことがない。
さらに、茅葺というのも大変珍しい。
神社の社殿は、銅版葺きか板葺なのが通常だからである。
この羽黒山もそうだが、出羽三山は昔から修験者の拠点のひとつだった。
その多くは、密教で、真言宗東密)か天台宗台密)かにわかれる。
つまり、密教とはすなわち、他人には理解できない真の教えを会得するために
付けられたのである。ところが山岳信仰を持ちながら修験道密教のやり方で験の力を得て
それを人のために使うという現世利益の精神がある。
従って、出羽三山では如来信仰も盛んで、1000年も前の如来像も展示されている。


境内社東照宮、稲荷神社、山神社、白山神社など。


ちなみに、ここではご朱印帳も売ってます。


その後、雷電神社、湯の浜へ行き
そっから、三宝荒神社、春日神社へ行ったのだった。


帰ってきたら、とても遅い時間で
とてもくたびれた。