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本日、占守戦ようやく終了

8月15日、僕たちは靖国神社にいた。

ここ数年、靖国神社で仲間たちと昇殿参拝をしては

戦没者の御霊安からんことをお祈りしている。

特に、わが宮城県の第二師団は、大東亜戦争の際南方で

大きな活躍とともに、犠牲も大きかったがゆえである。

 

戦後に戦端開いた対ソ戦

 

15日の極左暴力集団どもへのカウンターでも訴えかけたが

15日は確かに大部分の地で戦争は終わったけれども

卑劣なるボリシェヴィキ・ロシアがわが国を侵略し

未だ戦闘は続いていた時期である。

満洲樺太・千島列島が敵の猛攻にさらされた。

あまり知られてはいないが、赤軍どもは大挙して攻めかかったのは良いが

この期間まで、いかなる主要都市を占領できてはいない。

満洲樺太では地の利を生かした効果的な防衛線を展開したし

千島では最北の占守島で釘付けにされていたためである。

この占守島、わが帝国陸海軍が赤軍相手に優勢に戦闘を展開し

死傷者ともに赤軍のほうが圧倒的に多かったうえに、赤軍占守島の大部分を

占領することができず、犠牲ばかりを増やしていたのである。

その要因は

1、千島列島は攻撃を受けておらず、無傷であったこと

2、対米戦を見越して、ある程度の防備を整えていたこと

3、赤軍の上陸部隊の準備不足

が大きい。

占守島は千島列島最北端であり、ボリシェヴィキロシアとの国境の島であったが

対米英戦が始まり、アッツ島が玉砕すると、米軍の本土上陸に備えるため

千島列島も防備の対象になった。

というのも、大東亜戦争が始まる前は、ボリシェヴィキロシアへの米軍の援助物資

を搭載した船が、千島を通ることがあった。

本当であれば、中立法が適用されるため、これらは違反となる。

しかし、対米関係悪化を恐れた帝国政府は、これらを黙認した。

つまり、米軍の輸送船は決して珍しいものではなかった。

また、赤軍の上陸戦の稚拙さは呆れかえるほどだ。米軍のような激しい準備砲撃はなく

それどころか、舟艇が転覆するため、戦車や重砲の陸揚げができなかったのだ。

一方で占守島には第91師団のうちおよそ8000人のほか

戦車第11連隊(中戦車、軽戦車合計60両以上)が配備されていた。

小規模ながら航空兵力も備えていたため、輸送船に対して陸攻3機による

攻撃も行われている。

 

勇士たちの苦難、シベリア抑留

 

わが帝国陸海軍は8月18日、玉音を拝して武装解除の準備を進めていたが

突如、敵の上陸が行われたため自衛戦闘に突入した。

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占守島に残る戦車第11連隊の中戦車(フォートラベルHP)

激しい戦闘の末、戦車第11連隊の池田末男連隊長が壮烈な戦死を遂げるなど

わが軍に大きな被害が出たものの、赤軍の橋頭保は広がることなく

むしろ効果的な反撃により、押し返される有様であった。

そのような中、大本営より停戦命令が届いたこともあり

赤軍との交渉を開始、軍使が捕らえられるなど紆余曲折はあったものの

この21日に、堤師団長が降伏文書に調印、千島の戦いは終わった。

しかし、千島の勇士たちは、わが国への凱旋ができなかった。

復員できると乗り込んだ船は彼等の故郷に向かわず、有無を言わさず

シベリアに拉致したからである。彼等の困難はまだ終わることはなかった。

 

われわれはわが国の国土を守り、かつ不法にシベリアに拉致された

勇士たちを顕彰してもしきれない。

常に忘れることなく、伝え続けていかなければならないと

決意を新たにした次第である。