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古代の疫病観、牛頭天王と素戔嗚神を例として

参議院選挙が始まった。

政治とは「まつりごと」とはよく言ったもので

地域の神社の祭礼も、この時期が多いようである。

というわけで、仕事外を出歩いている時に、氏子らによる例祭の

幟を見ることができる。

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須賀神社の幟には牛頭天王

上の画像で気になったのが、「牛頭天王」の幟である。

通常は「○○神社」と神社名を記すのだが、牛頭天王と記すのはどういうわけだろう。

実はこの牛頭天王神道と仏教の習合神であって

須賀神社の祭神である素戔嗚神と同一とみられているのである。

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牛頭天王の姿を描いたもの(wikipediaより)

同一とみられているが、さほど似てるか?

と疑問に思うところが多い。

素戔嗚神は武神(荒神)であると同時に

ヤマタノオロチを斬り、豊穣の神である櫛名田比売と結婚したことで

五穀豊穣にご利益があるとされているが

一方で、牛頭天王は「祇園精舎」の守護神と

されており、その名の通り祇園八坂神社の祭神としても知られる。

 

疫病は鬼の仕業だった?

 

牛頭天王は、疫病を司る神とされており、古代の人々は疫病というものは

疫鬼が悪さをしていると見ていたようである。

『善家異記』に、貞観4年(862)淡路守・三善氏吉に降りかかった

疫病について述べられている。病床の氏吉に、いわゆる霊能者の老婆が訪れ

「槌を持った裸の鬼が氏吉を害している」のだという。

老婆によって鬼は無事退治され、氏吉は助かるのであるが

当時の人々は、疫病というものを「異形の者」と見ていたようだ。

さて、その親玉と目されたのが祇園八坂神社の牛頭天王であり

祇園祭は、貞観5(863)年平安京神泉苑で、御霊会が行われたのが最初である。

祇園八坂神社では神輿をつくり、それを渡御することによって疫病を鎮めたという。

 

祇園祭のメインは神輿渡御

 

現在は、形代として山鉾巡行が行われ、それがよくテレビなどで放映される。

従って、山鉾巡行がメインかのように見られがちだが

実はメインは、その後に行われる神輿渡御である。

もともと祇園祭は、山鉾巡行はなく、控えめな神事が

あるのみだった。

神社新報社神道辞典』によると

祭りの形も本来賀茂川の水辺で行う禊祓の神事であったものが

中世以降、華美をこらした山車・鉾・祇園囃子などが加わり

現在の祇園祭の形となった。 

 とあり、古代から行われた形ではないようだ。

 

神仏習合に頭悩ます

 

ただ、素戔嗚神牛頭天王がなぜ同一に見られたか

はっきりとした証拠はわからない。

単に「事績が似ているため」だとか「素戔嗚神が荒々しいから」だとか

書かれているが、神仏習合の影響が明確であることがわかる程度である。

神仏習合は、仏教と神道をミックスさせるという極めて

わが国らしい方法が取られたわけだが

それがゆえに、神道学者の頭を悩ませることも多い。

もちろん、仏教と神道の両方に助けを求めるという庶民の祈りが

こういった形となったのであろう。

神仏習合を完全に網羅することができれば、わが国の歴史、宗教のみならず

私達の祖先の生き方をより理解できるようになるのではないだろうか。

今後の研究に期待したい。