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厳しいばかりではない!施設も充実していた兵営生活

昨日、僕の祖父が満州事変に従軍したことは述べた。

今回は、兵営について述べようと思う。

先日書いた通り、わが国では徴兵制があったため

誰でも疾病などがない限り、兵役につくことになっていた。

兵役法によれば、現役兵は2年となっている。

つまり、1年目は二等兵として軍隊の基礎を学び、体力を鍛え

2年目は一等兵に昇進して除隊となる。その中でも優れた成績を残した者は

上等兵に進級する。希望者は、下士官任用教育を経て軍隊に残ることが可能。

不思議なのは、僕の祖父の場合、1月に入営して7月に一等兵、一年で上等兵

なっている。ちょっとした謎だったりする。

仙台に司令部があった第二師団の中核を成した歩兵第四連隊は、兵舎がそのまま

残されていて、仙台市歴史民俗資料館として活用されている。

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当時の兵営における生活風景が再現されている

寝台を中心に撮影したが、銃置き場や戦時中の新聞も展示されていて

とても興味深い。この兵舎がある榴ヶ岡公園は、敷地が広いだけではなく

丘のようになっていて、伊達政宗仙台城を築く際、候補地の一つであったと伝わる。

先日、祖父が支那事変で負傷したと書いた。そのタイミングが不幸中の幸いであったというのは

対米英戦でガダルカナル島の戦いで、歩兵第四連隊2458人のうち、1906人が戦死したという

事実からしても、非常に厳しい戦いであったことを示している。

とはいえ、戦時中でなければ兵営の生活というのも(私刑というものがなければ)

決して悪いものばかりとも言えない。三食給料付き、医療・娯楽・福利厚生施設完備

ってわけばかりではなく、社会的な地位も高かったという。

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機関銃を用いた教練の様子。和気藹々とした様子が微笑ましい

日常の教練風景がアルバムに残っていたので一部をご紹介する。

十一年式軽機関銃と思われるが、もちろんいきなりやれ!となるのではなく

マニュアルがきちんと準備されていて、その上で実際に操作してみるわけである。

このようにさまざまな教練が施され、最後に演習を行って成果を師団長に見ていただいて

終了というわけである。

祖父は2年で下士官適正証書を交付されて満期除隊し、すぐに応召となった。

ちょうど満州事変が始まったからである。それからは昨日のブログの通りだ。

なお、背後に見える白い建物が現在の仙台市歴史民俗資料館である。

詳しい兵営での生活を知りたい方は、藤田昌雄氏「写真で見る日本陸軍兵営の生活」

に詳しい。非常に参考になるので、オススメだ。

 

写真で見る日本陸軍兵営の生活

写真で見る日本陸軍兵営の生活