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新元号はどうなる?これまでの元号の付け方

平成31年を迎えて半月が過ぎた。

何とも時が過ぎるのは早いものである。

4月には、畏くも今上陛下がご譲位遊ばす。

天子様がお隠れにならずにご譲位遊ばすわけで、東宮殿下のご即位の儀は

心より寿ぎ申し上げることができそうである。

ちなみに、天皇にご即位なさることを「践祚」というが

これは単に帝位にご即位されることを言い、三種の神器を受け継ぎ

それを内外に宣することにより、正式にご即位ということになる。

 

近代の元号はほとんど古典から

 

巷が気になってしょうがないのは、新元号がどうなるか、であろう。

「平成」は『史記』「五帝本紀」の「内平外成」または書経から取っている。

その前の「昭和」は『書経』の「百姓昭明、協和万邦」から取っている。

つまり、代々元号というのは支那の古典から取るのである。

最も最初の元号は、「大化」であり、初の元号であるから「建元」という。

『歴代天皇年号事典』によれば、『尚書』の「肆予大化誘我友邦君」から

とっているという。

 

実は古代ならではのこんな元号

 

とはいえ全ての元号が古典からとっているわけではない。

実は大化の後、「白雉」の由来はそのまま「白い雉」のことを指す。

大化6年に、穴戸国司が白い雉を捕獲し、朝廷に献上した。

これを吉祥と考えた朝廷は、「白雉」と改元したのである。

その他にも、「朱鳥(赤い鳥)」「神亀(白い亀が献上されたことによる)」といった

瑞祥とみられた場合は改元しているのである。

また、「和銅」は「和同開珎」で有名であるが、秩父郡から銅が産出したことを受けた

ためである。そのため、秩父市ではそれを記念するモニュメントもある。

さらに、聖武天皇の御代、国内で初めて陸奥国から砂金が産出したため

天平感宝」と改元を行った。この時の陸奥守・百済王敬福従五位上から従三位へ叙任。

地方の長官から公卿へと一気に大出世を遂げたことからも、朝廷の喜びようが

わかろうというものである。

つまり、改元による元号の決め方というのは、特に古代は必ずしも古典によったわけではない。

しかし現在、わが国では「一世一元の制」といい、何度も改元ができないようになっている。

従って、新しい時代はどういう元号にすべきか、有識者が頭を捻るわけである。

元号の成り立ちを考えてみると、必ずしも古典に限る必要はないのかもしれない。

いずれにせよ、私達がこういう時代でありたいと思えるような、夢のある元号を希望したいものだ。