白雉日報社公式ブログ

日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

障害者はめんどくない!「こんな夜更けにバナナかよ」が話題

昨日、仕事納めをしてきてようやく年越しの準備ができたといったところ。

その足で、「こんな夜更けにバナナかよ」を観てきた。

これは、実際に筋ジストロフィーに侵されながらも

自宅での生活を送ることを実践した鹿野靖明さんをモデルにした

ハートフルヒューマンコメディ。

筋ジスは徐々に筋肉が弱っていく難病で

(厳密には、筋肉が壊れていくもの)

手足が不自由になるばかりではなく、最終的に心臓の機能も弱まるため

死に至るケースが多いのだという。

鹿野さんも、筋肉が弱ったことが原因で

2002年に43歳で逝去されている。

今作では、その鹿野さんを多くのボランティアが支えているが

鹿野さんがワガママに振る舞う描写が強調されている。

僕はところどころで頷いていたし、大泉洋さんを始め役者の演技に笑い

そして涙が止まらなかった。

邦画でここまでやられたのは、本当に久々だ。

 

「当たり前」がわがままに?

 

パンフレットを読んでみて改めて気づいたのだが、鹿野さんは

一見わがままに見える。周囲のボランティアには傍若無人に振る舞い

ケンカも平気でする。しかし、それは健常者に置き換えたら当たり前のことだ。

どこも悪くなければ、深夜に「あ、バナナ食いたい」と思ったら

普通にそこらへんのコンビニに買いに行くだろう。

鹿野さんは、そういう感覚なのである。

それから、鹿野さんは両親も遠ざけてしまっているが、作中では

「障害者は家族が面倒を見なければいけない。そういう社会への抵抗なわけさ」

というセリフが出てくる。

両親を思ってあえて遠ざけていたのだが

僕が信条とするノーマライゼーションの考え方は、これに合致する。

 大きい存在なのは、鹿野さんを支えるボランティア。彼らは鹿野さんの面倒を24時間

見なきゃいけない。非常に大変だと思っていたら

鹿野ボラの方へのインタビューで

「どこかで吹っ切れちゃうんですね。このまま朝までいてやろうと」

という言葉が出てきて、やはり実際に経験しないとわからない面は

多いと感じた。大変な中にも、ボランティア本人の成長が

あったのだろう。とにかく、鹿野さんにとってボランティアは

自分の命を預けることができる、家族なのだ。


障害者のノーマライゼーション促進を

 

ノーマライゼーションとは、1950年代に北欧から発生した概念で

障害がある人であっても、可能な限り通常の社会生活を送ることを

整備する環境のことを言う。本作でもあったが、駅などにあるエレベーターは

障害者による運動が実を結んで設置された。

このような運動がなければ、足腰に障害がある人は階段の上り下りに

大変苦労する。これでは健全な社会生活を送るのは困難というわけである。

障害者の社会生活を促進するというのは、障害者にも社会にも良いことだ。

施設や病院に長期間閉じこもってしまうのは、社会との接点がなくなり

性格が段々内気になり、さまざまな意欲もなくなってしまう。

これが原因となってうつ病を発症したり、社会復帰ができなくなるのは本人の

人生に大きな影を落とす。社会にとっても、障害者への理解が進まないだけでなく

住みよい社会をつくるために必要なニーズが提案されなくなる。

 

非常に淡泊な言い方をすれば、逆に障害者が健全な社会生活を送ることで

労働生産性を見込めたりすることもできる。

実際、坂本光司氏による名シリーズ「日本で一番大切にしたい会社」では

日本理化学工業株式会社や株式会社沖縄教育出版といった障害者雇用

積極的な企業が好業績を上げていることを例に挙げているが

誇張でも何でもなく、障害者だから健常者より劣る、という考え方が

どれだけ時代遅れであるかがわかる事例である。

 

日本でいちばん大切にしたい会社

日本でいちばん大切にしたい会社

 

 

障害者雇用の数値を満たしていない行政機関が多数発覚したことが

問題となっているが、はっきり言ってそんなところは相手にするな、と思う。

そもそも発想がおかしいのだ。障害者は普段できないことが多いから

むしろハングリー精神が旺盛で、非常に戦力になることが

わかっていない。だから賃金が低いだの雇用率がどうだの

そんなもので分けられるのは腹立たしい限りである。

 

注意すべきは誤解のない接し方だけ

 

僕は、社会に出て障害者の友人も少しながら出来たが

遠慮することなく「何を気を付ければいいかな?」と聞く。

良い例えとして学生時代に学んだのは

「人が話している時に、耳を塞いでみな」というもので

実際誰かが話しているのを耳を塞いで見てみると

「何の話だろう?もしかして自分の話だろうか?」と気になるわけだ。

それは言われれば気づくけど、気を遣って(いるつもりで)本人に聞かないから

あらぬ誤解を招く。本人が何を必要としているか、予め気を付けていれば

それに対処すればいいだけで、後は何も変わらない。

「めんどくせえな、関わりたくねえな」となるのは、相手を知らないからで

ぶっちゃけ、人はそれぞれめんどくさい性格をしているものだから

同じようなものである。

障害者を特別扱いするのではなく、その人に応じた社会との関わり方が

より進んでいくことを、僕も微力ながら促進させていきたいと思っている。

その考え方は、本作品に詰まっている。

ぜひ、本作を見ていただき、気軽な気持ちで構わないから

ノーマライゼーションに理解をお願いしたい。


映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』予告